『ジェイミーが消えた庭』 キース・グレイ

 

町の各通りに沿って並ぶ、美しい前庭のある住宅は、家のうしろに、もっと広い裏庭をもっている。隣の庭と塀で仕切られてはいるが、通りの区画の端から端までつながっている。
この裏庭を、少年たちが走り抜けていく。塀を乗り越え、庭を走り……。これは、一部の中学生の間で流行っているクリーピングというゲームなのだ。
ゲームのルールは、二人一組で、「マル住」(通りの住人)に見つからずに、そして何も壊さず、通りの区画の端から端までを走り切ること。
「マル住」にみつかったら失格だけれど、最悪の場合、捕まって警察に引き渡されることもある。


「ぼく」は、相棒のジェイミーとつるんで、夜ごと、クリーピングをする。ジェイミーは最高のクリーパーだ。
その夜、二人は、クリーパー仲間たちに最難関と言われている区画ダーウェント・ドライブを走っていた。
勝算はあったはずなのに、「ぼく」の失敗のせいで、ジェイミーが、「マル住」につかまってしまった。
逃げ切った「ぼく」のそばに、ジェイミーは戻ってこなかった。
そして、そのことがきっかけで、「ぼく」が考えている以上のとんでもない事態へと落ちていく……


圧巻は、ぼくとジェイミーとで再度、ダーウェント・ドライブに挑むところだ。
まるでスポーツの実況でも見ているような緊迫感。夜闇に紛れた秘密のスリル。思いがけない敵、思いがけない味方との遭遇に、はらはらしたり、どきどきしたり。
成功したからって、表立った自慢も称賛もできない、(大人から見たら)犯罪と紙一重の不快なゲームである。
それなのに、なんでこんなに気持ちがいいのだろう。
夜に吹く爽風、駆け抜けていく足音の軽さに、ふっと身体が軽くなる。走れ走れ、といつの間にか応援している。
どこにも繋がらない、そこだけの閉じられた世界の冒険。決まりきった学校と家との往復の間にある隙間の風。
こういうときめきを経験した子ども時代の思い出は、ないよりはあった方がいいような気がする。


最初、わたしは、この「ぼく」が嫌いだった。
相棒のことを心配しているようで、いちばんかわいいのは自分なのだな、と。
だけど、いたらない「ぼく」を押し上げるかのように、思いもかけず差しだされた、さまざまな手に、胸がいっぱいになってしまう。
秘密の冒険を経験して大きくなった、嘗ての子ども同士の間にある見えない目配せのようなものに。
この夜。最高の走りだった、最高の仲間だった。