『ぼくはただ、物語を書きたかった。』 ラフィク・シャミ

 

作家ラフィク・シャミが、独裁政権下のシリアからドイツに亡命したのが1971年。その後、一度も故郷へは帰っていない(帰れなかった)
亡命はシャミの命を救い、自由にしたが、同時に、別の不自由と不快さとをもたらした。
ドイツ国内での(十把ひとからげの)アラブ人に対する偏見、差別。いつ国外退去となるかわからない不安定な日常。
長きにわたる亡命生活が、亡命者をどのように変えていくかという話(友を失う話)や、君臨し続ける「族長」の話。
ことに亡命作家として、差別主義者や、独裁政権に媚びる文化人たちに悩まされた話。
長いあいだ、アラブ諸国の出版社では、本を出せなかった。(ドイツ語で物語を書くのは、そのせいでもある)
ドイツ国内の中東研究者やイスラム学者からの敵対視。
ドイツに暮らして以来、受けてきた不快で屈辱的な体験を次々に列挙する言葉は、ユーモアたっぷり、ぽんぽんとリズミカルに弾むが、そうであるほどに、伝わってくるのは、どれほど傷つき、打ちのめされ、苦しんだか、ということだった。


不快な出来事が次々に亡命作家に降りかかるとき、作家に何ができるのだろうか。
「一番いいのは彼らを気にせず、できるだけまっすぐに自分の道を歩むこと。そして、いつも自分が夢見ていたことをすること。つまり物語を書くのだ」
…もちろん簡単なことではなかったはずだ。
だけど、今、私たちが手にとることのできるシャミの本は、(輝く鋭い針をしのばせつつ)こんなにも美しい。こんなにも楽しい。


『もてなし-十個の小さなモザイクによるイメージの連続』の章では、私がこれまでに出会った(それとこれから出会うはずの)シャミの物語の片鱗が、あちこちから顔を出しているよう。
「果てしないい広さ、ゆっくりとしか起こらない色彩の変化、ほとんど聞きとれるくらいの深い静寂……」
砂漠の民から旅する人へのもてなし。語り部が紡ぎ出す言葉の木。
そして、子ども時代を過ごした美しいダマスカスの町への(実際には帰れない町への)物語ることでの帰還。
困難な日常と、美しい故郷との別離との間で、紡がれた言葉、物語。その一言一言が宝と思う。
「文学は、もしそれがうまく書かれていれば、我々の時代の忘れっぽさに対抗してくれる。その作品そのものが、忘れがたい存在になるのだ」


これからの口承文芸について。
ハカワチ(語り部)の国から来た作家は、自身も物語を語るハカワチである。
「ぼくは口承文芸を時間の重荷から解き放ち、いわば時間を超えたものとして、新しい時代のなかに救い出そうとした」
「物語はふしぎな方法で、子どもや大人に言葉の美しさを発見させるだけではなく、まず第一にそれを楽しませてくれる」
声で物語ること、物語を耳から聞くことで、物語は、その場所で、何か(良き)別の生き物に変わっていくような気がする。
いつか、ラフィク・シャミ自身による生の語りや朗読を聞くことができたらいいのに。(言葉は一言もわからないだろうけれど、それでも……。きっと、楽しめると思っているのだ)


ラフィク・シャミというペンネームは、訳者あとがきによれば「ダマスカスから来た友人」を意味するそうです。