『思い出すこと」ジュンパ・ラヒリ

 

ローマの家具つき住宅にジュンパ・ラヒリが引っ越したとき、書斎の古い書き物机から、一冊のノートを見つける。それは、ネリーナという女性によって書かれた詩集の草稿だった。イタリア語以外のいくつかの言語を巧にし、その言語の国のどこかに彼女のルーツがあるようだった。
ラヒリは、イタリア詩の研究者である友人マッジョにこの草稿を預ける。マッジョはこれを編集し、巻末に詳しい注釈をつけて、一冊の詩集に仕上げる。それがこの本。
実は、マッジョという研究者は実在しないし、詩人のネリーナの生い立ちや彼女の家族は、ラヒリのものと被る。つまり、ラヒリもネリーナもマッジョも、著者自身の分身であり、これは、三つの視点から書かれた(主に詩による)新しい形の自伝的作品なのだ。
まるで、三人に分裂した著者が大真面目な顔で対話しているように思える。


詩は、状況や人の姿を影絵のように漠然と伝える。束の間の情景を切り取った、少しぼんやりした写真のよう。
隅から隅まで見えすぎない感じ、ぼやけた部分が画面から外へすうっと引いていく感じがよいのだと思う。
ときどきは、茶目っ気たっぷりに(判る人だけ分ればよし、という感じに)言葉遊びなどをしかけてくる。巻末の「注」のなかで、研究者マッジョによる推論という形で、種明かししてみせてくれるけれど、このあたり、イタリア語も、その文法も全く分からない私は、ほとんど指をくわえて眺めるばかりだ。


窓辺に遺された鍵。なくなってしまった、わが子に贈った(そもそもほんとうに贈った?)カード。わが子の姿の向こうに見える、自分自身の子ども時代の思い出。はっとさせられるのは母親の瞬間の表情。


病むほどに突き詰めていく自責の言葉は、どろどろの底無し沼のよう。
それなのに、詩はどんどん澄んでいくように感じるのはなぜだろう。


最後の詩で、彼女は外にでていく。
「外に出ると
 季節の最初の寒さに震える」
外気。寒さが気持ちよいこと。