『かたつむりとさる』 モン族の子どもたち;安井清子

 

さるに、歩みの鈍さを馬鹿にされたかたつむりは、それなら、かけっこしてみようともちかける。
かたつむりは親類縁者と相談して、三日後のかけっこに臨む。
さて……。
とんちを働かせて、弱くて小さいものが強いものを出し抜くお話で、途中、繰り返されるさるとかたつむりの掛け合いがおもしろいのです。
躍動感のある楽しい絵は、刺繍で描かれています。


この絵本を初めて読んだのは、月刊『こどものとも年中向き』1994年1月号(通巻94号)でした。
こどものとも』には、毎号、『絵本のたのしみ』という折込み付録が挟まれていますが、そこに載った作者(訳者)・安井清子さんのエッセイ『絵本の背景』『刺繍絵本とモンの子どもたち』には、絵本誕生の背景が書かれています。


モン族は、中国、ベトナムラオス、タイの山を自由に歩き回る山の民。
ラオス内戦後、体制に反対したモンの人たちは国を追われて難民になったそうだ。
安井清子さんは、1985年頃から、日本の難民援助団体のスタッフとして、タイのバンビナイ難民キャンプで、モン族の子どもたちのための図書館活動をしていた。
もともとモン族は文字を持たない民族(アルファベットを使った表記法があり、キャンプではその方法で識字教育が行われていた)であるため、図書館といっても、モン族の読み物が一冊もなかった。
でも、モン族には、面白い民話がたくさん語り伝えられている。
モン族の女の子は、幼い子でも刺繍が得意である。
……などから、安井清子さんは子どもたちと一緒に絵本を作ろうと考える。
こうして(その途上にいろいろあるのだけれど)この絵本は生まれたのだった。
下絵を描いたのが、キャンプのモンの男の子。刺繍をしたのが女の子たちだ。


このエッセイを読んだあとで、この絵本のページをゆっくりとめくると、ページごとに糸を刺す子どもの姿まで見えるような気がします。
伸びやかな図案(さるのポーズや表情の変化が楽しい)に、几帳面に隅々まで細かく丁寧に刺してあるページもあれば、細かいことは気にせずにおおらかに刺したのだろう、と思うようなページもあり、ページの向こうに、子どもたちの顔や、真剣な手元を想像します。
子どもたち、この絵本をつくりあげることをどんなに楽しんだことか、完成がどんなに待ち遠しかったことか。
絵の中の表情のない(はずの)かたつむりたちに、子どもの姿がみえてきます。寄り集まってのくすくす笑いまで聞こえてきそう。


お話の「かけっこ」は、三つの山と三つの谷を越えていく。
お話の舞台が山なので、絵は、斜面の険しさをあらわすような斜めの構図が多い。
さるもかたつむりも、山々を闊歩する山岳民族のモンの人びとに似ているかもしれない。