『「五足の靴」をゆく:明治の修学旅行』 森まゆみ

 

『五足の靴』は、新詩社(明星)を主宰した与謝野寛(鉄幹)と、まだ学生で無名だった四人の歌人、太田正雄(木下杢太郎)、平野萬里、北原白秋吉井勇との、九州をめぐる明治四十年の紀行文である。(感想をこちらに書いています)
この本では、著者も、五足の靴を追いかけて、九州を旅する。
五人の生い立ち、五人の立ち寄り先の歴史・地理・風俗などをからめて、著者自身の一足の靴の紀行文にもなっている。


そもそもこの九州旅行は、森鴎外に薫陶を受けた五人にとって、『即興詩人』の雛型のようなものだったらしい。
たとえば、唐津の鏡山(作用姫の伝説がある)で、咲き乱れる野花を積んで花飾りを作る場面など、『即興詩人』のジェンツァーノの花祭りの描写にそっくりだというし。
五人、なぜそんなにも苦労して阿蘇山の噴火口を見に行ったかといえば、彼らの胸にあったのはヴェスビオス火山だったとか……
あちらでもこちらでも、『即興詩人』の影響が垣間見えるようだ。
時代も時代で、東京に暮らす五人にとって、九州は、大変な田舎であり、閉口することもあったけれど、それこそが旅情であり、異国情緒でもあっただろう、という。


五足の旅と著者森まゆみさんの旅の間にあるのは長い年月。戦争があり、長崎には原爆も落とされた。
五足のころに軍港だった佐世保は、今は米軍基地の町。
新しくなった町にも、五足が描き出した「拳骨のように中央に横たわ」った大通りに「肋骨とばかり数多の横丁を走らせている」通りは今も面影が残っているそうだ。
柳川では、白秋が描きだす堀端の情景、
「夕方には人々が縁台を堀のすぐ傍らまで持ち出して団扇を使っていた……」
を振り返り、著者は
「自然があり、人間が伸びやかに暮らす、もう日本では失われた風景。そう思うと胸がつまる」
と書く。
夏の夕涼みの風景が、町から消えてしまったのはいったいいつごろだったのだろう、といつのまにか消えてしまった風景を読者の私も振り返っていた。


五足の足取りを丁寧に追いながら、森さんの一足は、もっと遠く近く、足を延ばしていく。
隠れキリシタンたちの残像。長崎原爆の被爆者たち。町々は、今もしっかりと記憶し、今も一緒に生きているようだ。「私自身が……」「親が……」そんな言葉をあちこちで聞く。
歴史は、過ぎてしまったできことではなくて、その土地やそこに住む人たちが、受け継ぎ受け継ぎ、身の内に今も持っているものなのかもしれない。


太田正雄による旅のスケッチが豊富に収録されているのが、うれしかった。
デッサンなど素人離れした感じで上手だなあ、と思う。見たままの風景や、宿でくつろぐ(?)五人の姿がいい。欲を言えば、もっと大きな図版で見られたらよかったのに。