『氷上旅日記』 ヴェルナー・ヘルツォーク

 

1974年晩秋、ミュンヘンの著者は、パリ在住の恩人が重病だと知る。
「あのひとを死なせるわけにはいかない」
「ぼくが歩いていけば、あの人は助かるのだ、と固く信じて。それに、ぼくはひとりになりたかった」
著者が、初冬のミュンヘンからパリまで、約三週間かけての徒歩旅行を決めたのは、そんなわけだった。
これは、その途上に書いたメモで、もともと誰かに見せるつもりはなかったそうだ。だから、だろうか。心惹かれる反面、どういう意味なのかわからないところがいくつもあった。それも含めて(わからないものはわからないまま)この本はとてもおもしろかった。


著者が歩いたからといって、恩人の命が助かるはずもないし、何かの助けになるはずもないだろう。
だけど、あり?なし?と簡単に言い切れない不可思議な魔力のようなものが、著者の文章にはある。
タイトルは「旅日記」だけれど、これは、紀行文ではないし、何かの記録でさえない。


冷たい風、雨、吹雪。いくつもの森、山、凍った川、町や村、通り過ぎていく人や動物、鳥たち。
の中を、著者は、痛む足を引き摺って歩き続ける。寝床を確保するためにときには傍若無人な方法をとりながら。
目に見えるもの、聞こえるもの、肌に感じるもののは、水を多く含んだ筆でさっとはいた水彩画のような味わい。
現実の旅は、いつのまにか、これは比喩なのか、想像(妄想)なのか、と首をかしげるような世界に迷い込んでいく。だんだん、どちらが現実で幻想なのか、わからなくなってしまう。


ミュンヘンからついてきている(?)ノスリやカラス。
スズメが解けてしずくとなって屋根からポタポタ落ちてくる(さえずりと雪解けのしずくを掛けた表現とのこと)
教会を中心にした、葬式を思わせるような光景は、いつのまにか狂気のような結婚式の場面に変っている。
何日にもわたる、気が滅入るような曇天のあとに出会った太陽に、気分が良くなるどころか、「こんどは影が横で隙をうかがいだした」
自分自身や架空の人間との長い対話。


旅人の深い孤独は、読み手にとって、徐々に心地よいくらいになってくる。
次第に感覚を研ぎ澄ませ、深く深く、より深いところまで降りていく、それだけ。修行僧の姿のようにも見えてくる。
「今日はいつにもまして孤独を感じる。自分を相手に、これまでよりももっと深く掘り下げた対話をする」