『暗やみに能面ひっそり』 佐藤まどか

 

宗太、10歳の夏休み。かあさんがロンドンに出張するため、彼は、京都の父方の祖父母のもとで一週間過ごすことになった。
父母は、四年前に離婚したため、父方の祖父母に会うのも四年ぶりだ。


宗太の祖父は能面師だ。慣れない祖父母宅の生活で時間をもてあましたこともあり、宗太は祖父の仕事場を頻繁に訪れる。さまざまな能面に出会う。
私には、「鬼」の面だけで幾種類もあることが印象的だった。鬼になるのはすべて女性である、という事とともに。
鬼になるしかない女たち(鬼にもなれない男たち)のことを想像している。


宗太は、子どもに干渉しない(しなさすぎるくらいの)祖母と、必要なアドバイスはしても見守る態の祖父のもとで、興味のむくままに、能面がらみのいくつかの初めての体験をする。まわりに同い年くらいの話し相手もいないこと、何もやることがないポケットみたいな時間であること。そういう時だから、能面に、すうっと入っていけたのだろう。


能ではなぜ面をつけるのか。
宗太の疑問に対する祖父の言葉に、なるほど、そういうものかと思ったが、それよりも、面をつけていない生身の人間の顔つきが、(面をつけているわけでもないのに)能面のように見えることがある、という宗太の言葉に、どきっとした。
宗太に向ける父、母、祖母の顔が、生身なのに、なんだか冷ややかで(何を考えているのかよくわからない)よそよそしく見えることを読みながら感じていた。優しい言葉かけとか、何をしてくれたとか、そういうことではなく。
能面は、のっぺりしているように見える。だけど、光の当たりかたや、面を見る角度で、表情が変わってくること、そこに感情が浮かび上がってくる描写は、目が覚めるようだった。それこそ、のっぺらぼうの能面が、生身の人の顔より生き生きと感じられる。


これまで興味を持つことさえなかった能、いつか、私も観る機会があったらいいな、と思った。そのときには、宗太と祖父の導きのもと、構えずに鑑賞できそうな気がする。


宗太は10歳。今後、孫と祖父には、きっと新しい関係が始まる。その後、変容していくだろう関係までも想像して、これからが楽しみだなあ、と思っている。