『パンに書かれた言葉』 朽木祥

 

「わたし」ことエリーにはなまえが三つある。
光・S・エレオノーラ。
まんなかの「S」にはどんな意味があるのだろう。
Sという文字が、読者を物語のなかへと誘い、ガイドのように導き、引っ張っていく。


2011年3月11日の大震災のあと「わけの分からない不安でいっぱいになって、物語とかもぜんぜん楽しめなくなって」しまった13歳のエリーだが、少し遅めの春休みを、母が生まれ育った、北イタリアのステラマリスの村で、愛する祖母(ノンナ)と過ごす。
夏休みには、広島で、父方の祖父母や従姉兄と過ごす。
エリーをもてなすイタリアの家庭料理(てんこ盛り!)がおいしそうで、おいしそうで。広島のこだわりのお好み焼きや漬物も、読めば読むほどお腹が空いてくる。
そして、イタリアのノンナ、広島の祖父、それぞれの子どもの頃の話をエリーは聞くのだ。
つまり戦争の話を。


「イタリアって、ドイツと同盟を結んでたんじゃなかったの?」と尋ねるエリーの言葉に、恥ずかしいけど、わたしも頷く。
1943年の秋、クーデターで当時の政権が倒れたこと、その後、枢軸国から離脱し、連合国軍と休戦条約を結んだことを初めて知った。
そのために、北イタリアはナチスに散々な目にあわされることになった、ということも。
ノンナが話すのは、二度と会えなくなったユダヤ人の友サラのこと、ユダヤ人を匿うパルチザンに協力していた兄パオロ(まだ少年だった)のことだ。
(この本のカバーを外すと、渋い赤の表紙があらわれる。ノンナの手許の詩集と同じ色じゃないだろうか)


広島の原爆では、祖父の妹の真美子をはじめ、多くの少年少女が犠牲になった。いったことはないが、地名は、いくつもの広島の物語で馴染んでいる。だけど、その場に現れる人物はみんな違う。どんなふうに暮し、この瞬間に何をし、これから何をしようとしていたのか、当たり前だけれど、みんな違っている。
彼らの顔が、北イタリアのステラマリスの村で亡くなった人たちの顔と混ざり合う。
さらに、エリーの従姉がパリのユダヤ人大虐殺の歴史博物館で手に入れた写真集(増補版)の大勢の幼い子どもたちの姿に重なる。そして、2011年の春の日に。


パルチザンという言葉の意味をエリーの従姉が調べる場面があるが、その内容は、ノンナの兄パオロの活動とずいぶんな隔たりがある。「おしまいには何に抵抗して戦ったのかわからなくなった」と……。
エリーはノンナの言葉を思い出す。
「警戒しなければいけない主義や思想がある。手遅れになったら、それに立ち向かうために自分も武器を取って戦う羽目になる」
いま、世界のあちこちで起きている怖ろしい出来事を思い浮かべると、警鐘のように、胸に響く。
武器を手に取らずに戦争に抗う方法が、この物語のなかに何度も形を変えて現れるのだ。
わたしたちが持っているのは言葉であること、伝える力であること。それがどんな武器よりも、ファシストたちを恐れさせるのだということ(だから、言葉は弾圧される)


過去の戦争の話を聞くには、きっと心の準備がいる。共感のための準備。
「共感とか同情とかの度合いに、距離が関係してくる」からだ。
距離には空間の距離と時間の距離があり、これらの距離はどうあっても動かせない。
だけど、もうひとつ、心の距離がある。心の距離は、縮めることができるのだ。
エリーにとっての二つの長い休暇に、そして読者はその後について、少しずつ心の距離を縮めていく。
遠い国や遠い過去に生きた人たちを、自分と等身大の友として、身近に引き寄せる。悼みとともに。


残酷な場面が描かれているわけではないが、手渡されるものは重たい。それでも、この重みを受けとることは、この世のもっとも美しいものを引き寄せることでもある。
この本の冒頭には、こんな言葉が書かれている。
「子どもたちのために作りたい。
  歌い出すような明日を。  」