『みぞれ』 重松清

 

明日生きているも死んでいるもゲームで、どっちに転んでも大差ない、ってうことだろうか。この山を越えたら、越えたらと、そればかりを目標に受験勉強を乗り切った高校生の前には、さらに高い目標がそびえているだけだった……。
彼らの気持ちを、わかったような言葉に置き替えながら、いやいや、ほんとうはちょっと違っているな、と思う。


リストラ候補に選ばれるのは自分か同期か。自由自在にあちらにこちらに転がされる、ふざけたルールのゲーム盤に乗せられて、それでも、降りる、と言えないサラリーマンの胸の内になにかが積もっていく……。
いやいや、それも、やっぱりちょっと違っている……。


テレビ番組製作者たちの舞台裏で、視聴率を稼ぐことが正義なら、だまし討ちのように人の気持ちを傷つけることも仕事の内か、プロなら騙されても踏みつけられてもじっとしていろというのか……。

 

あげくに歳をとり、介護される側になったときには、若い世代に、それでも生きていて楽しいだろうか、と不思議がられる。


11篇の短編は、決して遠い話じゃない。
登場人物たちのどこかに(いいえ、あちらにもこちらにも)私自身がいる。あるいは、この人をわたしは知っている、と思う。
遠い話どころが、毎日は、そういうことの連続かもしれない。


そうかもしれないけれど、そうとは言えない。そんなに簡単に、まとめてしまうと、嘘みたいに、違うものになってしまう。どんな言葉にもならない気持ちを、光景を、どうしたらいいのだろう。
これらは、みぞれかな……。


11篇目の物語『みぞれ』のなかにこんな言葉が出てくる。主人公は窓の外で霙が降る様を見ている。
「寒々しい風景だ。いっそ雪になってくれたほうが、外が明るくなるぶん、気持ちも沈み込まずにすむのに」
八編の物語の登場人物たちは、みな、こんなふうに、どっちつかずのみぞれの中にいるのかもしれない。
だけど、どの物語にも感じる「そうとばかりは言えない」が、ちょっと明るく心に残るのだ。みぞれは寒々しいだけではない。沈み込むばかりでもない。