6月の読書

6月の読書メーター
読んだ本の数:19
読んだページ数:4814

椿宿の辺りに椿宿の辺りに感想
痛みの由来を探す、と簡単にいうけれど、それは大きな、自然の不思議にいたる道であるかもしれない。または、一つの警鐘であるかもしれない。山彦の問いかけが心に残る。「だが、潜んでいるものを暴き出して退治する――それで果たして問題は解決するのだろうか」
読了日:06月29日 著者:梨木 香歩
ゴハおじさんのゆかいなおはなし エジプトの民話ゴハおじさんのゆかいなおはなし エジプトの民話感想
それこそ、彦一とんち話のような日本の民話を思い出す。ナンセンスでユーモアたっぷりのお話が、十五も並んでいる。どれも、ほのぼのと笑えるたのしいお話ばかり。ハグ・ハムディさんとハニーさんによる、豊富な挿絵は、さまざまな布を縫い合わせて作ったという、エジプトの伝統工芸。実物を見られたらいいのに。
読了日:06月27日 著者:デニス・ジョンソン‐デイヴィーズ
パンに書かれた言葉パンに書かれた言葉感想
北イタリアと広島への旅は、三つの名前を持つエリーのまんなかのSの本当の意味を知ることでもあった。手渡されるものは重たいが、それは、この世のもっとも美しいものを引き寄せることでもあると思う。この本の冒頭の言葉「子どもたちのために作りたい。歌い出すような明日を。」エリーのなまえのまんなかのSに似ている。
読了日:06月25日 著者:朽木 祥
みぞれ (角川文庫)みぞれ (角川文庫)感想
「寒々しい風景だ。いっそ雪になってくれたほうが、外が明るくなるぶん、気持ちも沈み込まずにすむのに」八編の物語の登場人物たちは、みな、みぞれの中にいるのかもしれない。だけど、どの物語にも感じる「そうとばかりは言えない」が、ちょっと明るく心に残るのだ。みぞれは寒々しいだけではない。沈み込むばかりでもない。
読了日:06月23日 著者:重松 清
新編 物いう小箱 (講談社文芸文庫)新編 物いう小箱 (講談社文芸文庫)感想
深い森の匂いがしてくるような、水の流れる音が聞こえてくるような。涼やかな湿めりけを感じる。そこはかとないユーモアも。一篇一篇が、上質の小品だと思う。好きなのは、『気の抜けた話』(朝餉の夫婦に幸いあれ)、『弟子』の最後のの数行の美しさが心に残る。
読了日:06月21日 著者:森 銑三
海辺の宝もの海辺の宝もの感想
百人の作家が書いたら百人のメアリー・アニングが生まれるのだろう。『ライトニング・メアリ』を先に読んでいたせいかこちらのメアリーはマイルドだと感じた。『ライトニング……』のメアリが悔しがっていた件が、こちらのメアリにとってはこの上ない喜び。実際この時代の貧しい女の子にとっては最大限の成功の約束なのだろう。
読了日:06月20日 著者:ヘレン ブッシュ
ライトニング・メアリ 竜を発掘した少女ライトニング・メアリ 竜を発掘した少女感想
「わたしたちのような人間に幸せは来ない」という言葉が鮮烈に心に残る。人生(のどこかに、わずかでも)幸せを求めるなら、きっと別の生き方があったはずだ。この道を行く限り、それは望めないことを、知っている。それでも自分の道はほかにどこにもない。半端ではない覚悟は、ハッピーエンドをはるかに越えている。
読了日:06月19日 著者:アンシア・シモンズ,カシワイ
娘は娘 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)娘は娘 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)感想
『春にして君を離れ』の主人公が体験した出来事を思いだすが、後味が悪くないのは、ここが結局どんな「砂漠」でもなかったからだろう。アンには彼女を大切に思ってくれる人たちがいたこと。それから、これが母と娘の物語であったこと。母と娘は振り幅の大きい振り子のようだ。大きく揺れる振り子なら、たぶん戻りも大きいはず。
読了日:06月18日 著者:アガサ・クリスティー
9歳の人生 (Modern&Classic)9歳の人生 (Modern&Classic)感想
ソウルの貧民街の少年ヨミンの感じる世の中の理不尽さや不公平さへの「なぜ」という問いかけは、当時の韓国社会だけではなく、私たちの住むこの町にも、私のような大人にも向けられているようで耳が痛い。将来の保証は何もないが、今、ひたすらに遊び、さぼり、激しくやりあう子どもたち。全力で子どもでいる今が輝かしい。
読了日:06月16日 著者:ウィ・ギチョル
和ろうそくは、つなぐ和ろうそくは、つなぐ感想
「ひとつの役割を終えたものが、つぎの職人の手によって、また生き返る」それぞれ全く分野が違う伝統工芸の職人から職人へどんどんつながっている。木や川や土、自然の恩恵を無駄にせず最後に土に還るまで自然の恩恵を大切にする知恵の循環が、脈々と続いていること、そのまっとうさが、居住まいただしたくなるくらい清々しい。
読了日:06月14日 著者:大西 暢夫
よりぬきマザーグース (岩波少年文庫)よりぬきマザーグース (岩波少年文庫)感想
巻末の丁寧な解説がありがたい。『靴のおうちのおばあさん』の靴は幸せな結婚を意味するそう。『ロンドン橋がおっこちる』の最後のほうにでてくる「みはり」は、橋の安全を願って土台に人柱を立てた昔の風習を指すそう。手遊び歌などは、遊び方のていねいな説明があるので、子どもの手をとって一緒に遊べたらいいな。
読了日:06月13日 著者: 
野呂邦暢 古本屋写真集 (ちくま文庫)野呂邦暢 古本屋写真集 (ちくま文庫)感想
読んでいると、野呂邦暢さんが、編者たちと一緒に楽しい企み事をしている姿が目に浮かんでくる。古本屋を愛し、古本屋の写真を撮ってきた、古本屋トリオ(当然、亡き野呂さんを含めての)が作った写真集なのだと思うと、この本から、ほのぼのと灯りがさしてくるように感じる。
読了日:06月11日 著者:野呂 邦暢
ケンジントン公園 (エクス・リブリス)ケンジントン公園 (エクス・リブリス)感想
二つの時代の二つの狂気が、いつのまにか混ざり合い、一つになっていく。何という喧噪。見えてくるのは、狂気の町角を彷徨うたくさんの孤独な迷子たちだ。毒に当てられたような気持ちになる。暗闇に目が慣れるように、徐々に見えてくるものがあるが、罠に嵌ったような気がしている。
読了日:06月10日 著者:ロドリゴ・フレサン
小さな白い鳥小さな白い鳥感想
「わたし」と幼いデイヴィドのケンジントン公園のお話の時間。物語は儚い夢のよう。やがてデイヴィドが「私」の手を振り切って大きくなっていく未来に寄せる寂しさが現在の喜びの時間に混ざりこんでいるから。「……その人が、いろいろな話を聞かせてくれたと思うんだ。でもみんな忘れてしまった。名前も思い出せないんだ」
読了日:06月08日 著者:ジェイムズ・M. バリ,James Matthew Barrie,鈴木 重敏,東 逸子
あの子たち!あの子たち!感想
きっといろいろな読み方ができると思う。「『あの子たち』は私だ」ということもできると思う。この絵本の巻末にある「あとがき」の言葉みたいに。「あの子たち」は、あの人たちだ、ということもできると思う。もしかしたら、明日のわたしかもしれない。ここがホーム、と思える場所に、どうか辿り着けますように。
読了日:06月06日 著者:M.B.ゴフスタイン
ねずみとり (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)ねずみとり (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)感想
戯曲。巻末の宣伝文には、「カーテンコールの際の『観客の皆様、どうかこのラストのことはお帰りになってもお話にならないでください』の一節はあまりにも有名」とある。(もちろん、帰宅してもお話しませんが)品よく、すっきりとしたあと味で、さすが女王様への誕生祝いでした。
読了日:06月05日 著者:アガサ・クリスティー
ブラック・コーヒー (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)ブラック・コーヒー (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)感想
『ブラック・コーヒー』と『評決』。どちらが読み応えがあるかといえば、私は『ブラック・コーヒー』よりも、断然『評決』と思う。アガサ・クリスティーのミステリというよりも、別名義メアリ・ウェストマコット(純文学系?)っぽいかも。だけど、最後の数行のあれ。あれがよくわからない。あれ、いるかな。
読了日:06月04日 著者:アガサ クリスティー
ネコとクラリネットふき (おはなし広場)ネコとクラリネットふき (おはなし広場)感想
あるがままを受け入れて、「ぼく」とネコの暮らしは、ますます、すてきになっていく。クラリネットをふく「ぼく」と、大きな大きなネコ。他に何が必要なんだろう。気持ちが開かれていく、晴れやかに。本のなかからクラリネットの曲が聞こえてくる。モーツァルトかな。なんて豊か。
読了日:06月02日 著者:岡田 淳
丘 (岩波文庫)丘 (岩波文庫)感想
自分のものだけれど、自在に操縦できるわけではない自分の思いは、いつ、何がきっかけでタガが外れて暴走し始めるかわからない。美しい説得の言葉は本当は恐ろしい。ここで納得してしまう自分が怖かった。ここで怖いと思ってしまう自分にも自信を持てなかった。いったい「ほんとうの」敵はどこにいたのだろう。
読了日:06月01日 著者:ジャン・ジオノ

読書メーター