『歌わないキビタキ 山庭の自然誌』 梨木香歩

 

「歌わないキビタキは別人(鳥)のようだ。繁殖期の頃の朗らかな彼ではなく、何か重い鬱屈を胸に抱えているような、近々、苦しく長い、命がけの旅に出なければならないという予感に囚われているのかもしれない」


2020年初夏から20203年春までに、「毎日新聞・日曜くらぶ」と「サンデー毎日」に掲載されたエッセイである。
社会的には、新型コロナの蔓延、非常事態宣言、安倍元首相暗殺、ロシアのウクライナ侵攻などの大きな出来事のほかにも、細々とした事の(予兆を含めた)重苦しさをずっと感じずにはいられない時期だった。
そして、著者の身の周りでは、大切な人が認知症になったり、ほぼ寝たきりの親の介護が必要になったり、そういう時期だった。
さらに、著者自身も「しばらくおとなしかった持病が再び活発化し」苦しい時を過ごしいる様子に、読んでいて、どきりとした。
歌わないキビタキは、梨木香歩さん自身の投影だろうか。それから、いまここで暮らすわたしたちの。


重い雲のした、苦しくて仕方がないのに、自分で選んだわけでもないのに、旅立たなければならない。長い、命がけの旅に。
どちらを向いても暗いばかりに見える光景のなかだというのに(暗くなるほどに?)、このエッセイ集からは著者の筆の、このうえない軽やかさを感じていた。


接ぎ木のラズベリーの根っこ(台木)の生命力に驚く。
また、ある種の鳥たちのなかのメス擬態という習性など、野生に生きるものたちのおおらかな知恵に驚く。
否応なく人間社会の影響を受けながら、文句もいわず、自分の生を生きようとしている自然のなかの草木や鳥、動物たちの姿に、人の社会や、自分自身を重ねて、思いもかけなかった知恵を授けられているようだ。


「飛ぶことが必要なのなら、飛び立つより他に道はない」と見切って、さっと羽を広げたような軽さ。
「他に道はない」と考えるとき、その境地は、諦めなのか、挑戦なのか。


この本を読んでいると、落ち着いたポジティブさや、安心に満たされてくる。全体として明るい話ではないのに。ないから?
いつのまにか、わたし、励まされている?


諦めではないのだ。
先ずはありのままを受け入れる。そのうえで、どんな飛び方ができるのか、わたしもわたしなりに探していこう。
そんなふうに思いながら、本を閉じた。