『ベアトリスの予言』 ケイト・ディカミロ

 

ある朝、泥と血に汚れた少女が山羊に寄り添って眠っているのを、ひとりの修道士が発見する。彼女は、ベアトリスという自分の名前以外、何一つ覚えていなかった。
そのころ、王宮では、この少女を執拗にさがしていた。彼女は、文字が読める。それは、王を追放できるほどの力なのだ。
この国では、一般の人は文字が読めない。神に仕える人とか、王城に仕える人とかにしか、文字を学ぶ事は許されない。国民はおとなしく働き、戦争に行き、王のために死ぬことだけが求められていたから。


意志が強い、ということも過ぎれば、頑固者とか、融通が利かないとか、欠点になってしまう。
身内が呆れるほどの子どもの強い性格を、母親は、良きもの、そのまま大切な資質、として、伸びやかにそだてたのだった。少女も魅力的だが、彼女のもとに集まってくる仲間たちも良い。どのように生きたら生きやすいか、ということにはあまり興味がない人たちなのだけれど、彼らにとって最も大事なのは何なのだろう。


「悪党にとって、笑いほどおそろしいものはない」とか、嘘つきの極悪人と同じくらい悪いのが「正真正銘のおろか者」とか、立ち止まって考えてみたくなる言葉があちこちに散りばめられている。


物語には、いくつかの予言が出てくる。
だけど、最後には、世界を変えるためには「結局、重要なのは予言などではないということです」ということがわかるようにできている。
では、ほんとうに重要なのは何だったのか。
最後に書かれているそれは、ほんとうは、物語の中でずっとずっと主人公と一緒に歩いていたのだったが。