『マギンティ夫人は死んだ』 アガサ・クリスティー

 

小村ブローディニーで掃除婦をしていたマギンティ夫人が撲殺された事件は、すぐに逮捕された青年が死刑判決を受けて、早くも世間から忘れられようとしていた。けれども、彼を逮捕したスペンス警視は忘れられない。動かぬ証拠があったとはいえ、長年の職業的勘が、彼は犯人ではない、と告げていたから。
それで警視は、旧知のポアロに再調査を依頼したのだった。
犯人は本当に別にいるのだろうか。


亡くなったマギンティ夫人が日替わりで掃除を引き受けていたいくつかの家庭、ポアロが逗留する小さな下宿、村人たちの社交場のような郵便局。
ポアロと一緒に、この小さな村をめぐる。長閑に続く日々、罪のない噂話の村。
古い凶悪事件関係者に関するゴシップ記事を、故人マギンティ夫人の遺品に、ポアロが発見したときから、罪のなさそうな村人たちが一気に信用できなくなる。
彼らは過去、どんな顔をして、どんな暮しをしていたのだろうか。


事件に繋がるかどうかはともかく、成人した子どもを自分にしばりつけて支配しようとする親と、献身的な子どもの姿が、複数、目について、いらいらする。


うれしいのは、この村で、クリスティー作品の名脇役、ミステリ作家アリアドニ・オリヴァと出会えたこと。
「作家というものははにかみ屋で、非社会的な生き物なのだ、だから小説の中で友だちや会話を創り出すことで、その穴を埋めているんだわ」
などという言葉に、聞き耳を立てるようにして読んでいた。


大びっくりと小びっくりに、満足して本を閉じる。
だけど、何よりも、物語の道中、名前も覚えきれないほどの群像たちが、それぞれの思惑をもって自在に動き回る姿を眺めることが、道草のようで楽しかった。それぞれ、ひとりひとりが、語るに足る物語を持っているように感じたから。
人々は、ただ適材適所に配置された駒ではない。一見単純そうに見える人たちは、案外深い奥行きや、微妙な小さな内ポケットをいくつも持っているように思えて、ときどき、はっと居住まいをただしたくなる。そんないくつもの瞬間を楽しみながら読んだ。