『冬将軍が来た夏』 甘耀明

 

主人公の「私」がレイプされたとき、誰もいないはずの部屋で、彼女の祖母がそれを見ていた。
部屋には、横40センチ、縦70センチ、高さ40センチのトランクが置いてあり、中に、祖母が、身体を折りたたんで入っていたのだ。彼女はトランクの形に合わせて身体折りたたむことができる。このようにして、離れて暮す孫娘にこっそり会いにきていたのだった。


廃業した公営プールの底で、身寄りのない六人の老婆と一匹の犬が共同生活している。祖母は、この老婆たちのリーダーなのだ。
「私」は、祖母に家から連れ出され、老女たちとの共同生活に入る。
これは、どん底に落ちていた「私」の強烈な夏の物語だ。動くべき方向とは思い切り真逆のほうに梶を切る。


秩序ある人々の暮らしのアウトロー、老女には過酷ではないか、と思うような暮しであるが、彼女たちはいたって陽気だ。
祖母の、身体を自在に折りたためる才能もそうだけれど、ここにはもしやそれは超能力か何かだろうか、と思うような変わった能力や現象が当たり前のように存在するし、反対に、まさかそんな迷信を本気で実践しているのかと思うような、思わず引いてしまうような出来事がいくつもあり、何にしても、とても奇妙な団体生活である。
何度、彼女らのエネルギーに圧倒され、何度、その突拍子もない行動に笑わされたことか。
だけど、ハチャメチャな彼女たちから感じるのは互いへの愛情、友情だ。
それをストレートにみせてはくれないけれど。
その頂点に祖母はいる。独特の賢さとともに。


「私」は子どもの頃、何度か動物が人に(事故で、あるいは故意に)虐殺される場面を目撃している。
「私」はなぜ今、それを思い出したのだろう。
たぶん、殺されているのは、そしてあっさり忘れられているのは、動物だけではないのだ。
ひときわ印象的なのは、「私」が目の前でリスが死ぬのを見てしまったときのこと。彼女は、そのあと、誰にもできないやり方で、祖母が「私」に寄り添ってくれたことも思い出す。
きっとこの夏に祖母が「私」にしてくれたことも、それと同じなのだ……。


「人生には結末があるけれど、どの結末もすべていいとは限らない。でも記憶はいちばん美しいところで止まることができるし、いちばん美しいところで止まったものは、みんないい物語よ」
名残惜しさと、まさかの洗われたような清々しさとで、本を閉じる。