『13枚のピンぼけ写真』 キアラ・カルミナーティ

 

イオランダとマファルダの姉妹は、北イタリア、フリウリ地方のマイティニャッコ村で育った。
オーストリアとの国境に近い地域で、村の人たちは多く、イオランダ家族同様、オーストリアに出稼ぎにいく。
ところが、1914年、オーストリアとイタリアは戦争を始めて、北イタリアは大変なことになってしまう。
第一次世界大戦の始まりだった。
父と二人の兄は、次々に出征していった。兄の友達、不愉快な(すごく気になる)サンドロも。
そして、隣町ウーディネの洗濯を引き受けて働いていた母が、オーストリアのスパイの容疑で逮捕されてしまう。母に横恋慕した兵士の逆恨みのせいだ。
警察に引っ立てられていく母、イオランダに、この人を頼るように、とことづけたのは、ウーディネの町に住むアデーレおばさん。おばさんは親戚でもないし、姉妹はこれまで会ったことはおろか、名前さえ聞いたことがなかったのだ。
そういえば……おかあさんの身内を誰ひとり知らなかったことを、イオランダは今更ながらに知る。


ここからイオランダとマファルダの旅が始まる。だけど、なぜ今なのか。ハラハラしながらそう思った。
この旅は、未来に向かうためにどうしても必要な鍵だったのだ。頼れる両親も兄たちもいない今、身内といったら妹とただ二人きりのイオランダには。


文字通り命がけの困難な旅だった。(平時であればさほど問題はないのに)思いがけないくらいに遠い旅路の一過程一過程が、ああ戦争、と身に沁みる。
彼らと行動をともにした二人の老女が素晴らしかった。
子どもたちに付き添いながらも、甲斐甲斐しく世話を焼くことはなかった。ときには何を考えているのかわからないくらいに言葉少ないし、そっけない。表情も決して豊かとはいえない。老人であり、道中、若い人たちの助けがしばしば必要だった。
でも、老女たちの毅然と立つ姿は、心に残る。彼女たちは、あのピリピリした逃避行のさなかに姉妹に本当は何をしてくれたのか。
「……そのときの言葉は、わたしの記憶のなかにいつまでも鮮明に刻まれ、のちの運命を決定づけることになる」


13枚のピンぼけ写真は、物語のあちこちに、挟み込まれる。雲でも撮ったのかと思う、形あるものは何も映っていない写真の、その下の説明文を読めば、写真の枠の中に、少しずつ絵が見えてくる。
物語の続きだったり、行間だったり、または別の風景だったり、が、この写真には写っていて、本文とともに物語を語っているのを感じる。
それでもピンぼけなのだ。ぼけた部分が、戦争にまきこまれた子どもたちや老人、さまざまな重荷を負って歩く人たちの痛みにゆがめられてしまったように思える。


やがて、この本が13枚を中心にしたアルバムに変わる。この先に貼られる写真が楽しい思い出の写真ばかりであるようにと願わずにはいられない。