『熊出没注意ーー南木佳士自選短編小説集』 南木佳士

 

「ちょうど還暦だし、作家になって三十年目」の節目に編まれた自選短編小説集で、十編の小説が、時系列順に並んでいる。そのためか、主人公の職業や経歴がどんなモノであろうと関係なく、この一冊で、ただひとり(作者)の半生の物語を読んだように感じた。


難民医療日本チームの一員としてタイ・カンボジア国境に赴いた若い日があり、心を病んだ四十代があり、医師と小説家の二足の草鞋を履いて生きてきたひと。
作品を振り返りながら、
「書かずにいられなかったあのころの〈わたし〉が行間やページの周辺に漂っている」という。
作者のこれまでの人生が平穏とはいえなかっただろうに、どの作品も、静かだと感じる。


心に残るのは、物語の主人公(たち)が関わってきた沢山の老人たちの姿だ。
比較的縁の薄かった父の最後の三か月を家族とともに自宅で看ていた。家族を滅茶苦茶に疲れさせながら、一切、礼の言葉を発しなかった父の頑なさに漂う死臭。―『スイッチバック
急須を買い求める医学生が、芥川龍之介について語り合った陶器店の主人と、最後に思いがけない場所で再会したときの目礼。―『急須』
ニジマスを釣る川で、主人公たちが救いあげたのは、少し前に飛び込んだ老婆だったこと。―『ニジマスを釣る』
主人公を茸狩りに誘う老姉妹。罪のなさそうな、むしろ人のよさそうな二人の老女の、気さくさや丁寧さの間から覗くのはなんだろう。ともに歩くほどに、露わになるあの暗さは、不気味さ、そして可笑しみは。―『神かくし』


などなど、言葉にしてしまえば、それだけのものだけれど、その瞬間を特別のものにする、それぞれの人生と思いがある。
そんなに簡単になんでもわかるわけもなくて、たくさんの謎と空白とを携えて、主人公の前にあらわれる老人たちの姿は、どの人もそれぞれのグロテスクさや喜劇性を見せつける。
だけど、そのように描かれた老人たちには、得体が知れないままに共感の気持ちが湧き上がってくる。
いろいろあるけれど、もてあましたり、なげやりになりながら、ここまでやってきたのだ。何だ、文句があるなら言ってみろ、といわんばかりの後ろ姿に、明るい敬意を感じる。