『魔女の宅急便』 角野栄子

 

ほうきにのってお届け物をする魔女のキキのことなら、この本を読んだことのある人もない人も、よく知っているにちがいない。

 

魔女の仕事の代価は「おすそわけ」である。正直にいえば、それで食べていけるの?と心配になったし、はっきりと金額を提示してくれたほうがお客としてはさばさばとありがたいのに、とちょっと思ったりしたのだが……。
ひとりだちにもいろいろな意味がある。
「おすそわけ」って、気の置けない人たちの間でやりとりするものだと思えば、魔女のひとりだちって、つまり、ひとりぼっちでも生きていけます、食べていけます、ということではなくて、気ごころの知れた人とたくさん出会うこと、お互いにもちつもたれつの「おすそわけ」仲間になっていくことなのだろう。


これは、魔女のキキが生まれ育った両親の家を出てからの「行きて帰りし物語」と思っていたけれど、キキが「帰りし」場所は、もう生まれ育った故郷ではない。一年間暮らしたコリコの町が、彼女の新しい故郷だ。
里帰り中のキキの帰りを、コリコの町の友人たちが首を長くして待っている。彼らのもとにキキが「ただいま」と帰るまでの「帰りし」物語。
帰ることが嬉しいと思える場所(有形でも無形でも)を築きつつあることは嬉しい。


物語をますます楽しいものにしてくれたのは、たくさんのオノマトペ擬声語・擬態語)たち。
たとえば、くたびれたポンポン蒸気の音は、
「ぽあんぽあん」
ひもに並んで吊るされた洗濯物は風をはらんで
「ぱぱぱあん ぱたたあん ぱぱぱあん ぱたたあん」
キキが運んできた「春の音」は、
「ふあん ふわわーん ぶららーん
 くーりりー くーりりー……」
モノたちが歌っているよう。


ほうきに乗ったキキの視点で、空の上から、眼下の町々を眺めるのも楽しかった。
上から見おろして「きれい」と思う町は、山に囲まれてお皿のような形をしていた。赤や青の屋根がかたまって、スープに入った野菜のように見えた。
それから、コリコの町の中心にそびえたつ高い時計台、
「あそこを持ってさ、この町をコマみたいにくるっとまわしたら、おもしろいでしょうねえ」