『小屋を燃す』 南木佳士

 

『畔を歩く』『小屋を造る』『四股を踏む』『小屋を燃す』四つのエッセイであるけれど、まとまった一つの物語を読んだような気持でいる。
山の中腹に男五人で廃材で簡単な小屋を建てたこと、六年後には解体し、薪にしてストーブにくべたこと、その作業の合間の男たちのやりとりを中心(?)に据えて、遠景のように「私」の人生のあゆみを振り返る。滲み出てくるのは、死生観のようなものだろうか。
ここで今生きていることが、死ぬ覚悟を決めていく道すじの一過程であると、了解していく。
少しユーモラスとも思えるくらいの余裕をもって。


医者という仕事は「聖なるものとは真逆のところにあるもの」だという「私」は、自身も医師であるが、病気になれば受診者の椅子にすわるし、親族の病名を担当医から告知される家族にもなる。
「ふつうのの人たちの生死を扱う医療現場」を描こうとしてきた「私」自身が、医師であると同時に「ふつうの人」でもあるのだ。


人間ドック受診者を診ながら、「不機嫌そうなひとはたいてい歩いていない」との言葉は心に残る。
「どうせ死にゆく身なのだとの真理がほんとうに身についている老人はもっと明るい表情をしている」
健康に気を遣うことは、死に抗うためではなく、明るい覚悟で、いずれ死ぬ身である自分を受け入れることであるようだ。
機嫌がよい(不機嫌ではない)ということは、そういうことだった。


人の生き死にを書く小説家の「私」を、「病気を材料に言葉遊びをするもんじゃありません」と嗜めた老婦人も印象に残る。この言葉の向こうにある、その人の生きる姿勢が伝わってくる。この人もまた、晩年を明るい表情で過ごした人だったのだろう。


著者含めて、五人の男たちが廃材で、森の中に小屋をたてたのである。作業中・作業後の会話は清々しいくらいに馬鹿馬鹿しく意味もなく。
「山肌にはすでにナナカマドの赤やカエデの黄色が目立ってきており、(中略)ここで初老の男たちがイワナを焼き、ぶどう酒を呑んだなんて、ほんとにあったことなのだろうか。」
夢のような言葉が、六年後のあの日に重なる。小屋をを薪にした日に、夕日に向かって小便をしながらの、丁さん(五人の一人)の言葉「浄土だなあ」に。
さらに、この「浄土」が、いつか「私」が惹きつけられたシスレーの絵の中の、空の青に繋がる。
浄土だなあ。
機嫌よく歳を重ねていく人たちにとって生と死の境は、こんな感じなのかもしれない。