『満潮に乗って』 アガサ・クリスティー

 

百万長者のゴードン・クロードは、新妻とともにイギリスの邸宅に帰ってきた三日後に空襲によって死亡した。新妻ロザリーンは未亡人となり、ただ一人で莫大な遺産を相続したのだった。
ゴードンには、きょうだいや甥姪がいて、彼らはゴードンからの「恵まれた庇護の翼のもとで」「つねにのんびりと日なたの生活を楽しみ」「確実に保証された生活をつづけていた」のだが、この日を境に、一切の援助と庇護を失ったのだった。ここから遺族たちのドラマが始まる。


巻末の「解説:中川右介」では、この物語のように「ある人物が殺されるまで」がしっかり書かれたミステリを「ドラマ重視型」と呼んでいる。(この作品は、最初の事件が起こるのが、この本の半分くらい過ぎた頃だ)
そして、
「クリスティーの『ドラマ重視型』作品は、『誰が殺したか』の前に、『誰が殺されるのか』が興味の対象になる」
と書かれている。
それは、ほんとうにそうだ。
実際、事件が起こるまで、登場人物のなかの誰に何が起こるというのか、それは、どういう理由で……と気になって仕方がなかった。


人が殺された。なぜあの人があの時あの場所で。誰が殺したのか。動機は、アリバイは……
「ドラマ重視型」なので、読者としては、事件が起こるまでに長い時間をかけて、登場人物一人一人と丁寧に付き合ってきた。思いいれのある人も、一人二人……四人ほど。読みながら、漠然と彼らを犯人候補から勝手に除外している(除外してほしい、との願いもある)自分に気がついた。


戦争が終わったばかりのイギリスの郊外の暮し。買い物をするための長い行列やチケット。戦死した友人の記憶。従軍しなかった者が噛みしめる苦い思い。目標を失った復員者の途方に暮れたような日々。
静かなくらしのなかに混ざりこんでくる時代の背景が心に残る。