『場所』 アニー・エルノ-

 

著者の父が亡くなった。著者は、父の人生を振り返る。


下層階級の家で育った父は、母と結婚してからは、夫婦でなりふりかまわず働き、自分たちの店をもつことができた。
娘の著者は、向学心の高いエリートで、奨学金を受けて、優秀な成績で大学を卒業し、大学教授の資格をもつ。父より高い階級に属するようになったのだ。
成長するにつれて著者は、父に対して
「いわゆる階級の差による距離にはちがいないのだが、特殊な、名指しがたい隔たり」
を感じるようになっていた。


父にとって著者は、自慢の娘である。娘の成功を誇りに思っている。
その一方、父は、自分が属する階級の人々に気兼ねしている。嘗ての同僚や親族の子どもたちのように、とっくに稼いでいなければならない歳の娘が、いつまでも勉強を続けていることを、後ろめたく感じてもいる。


父を語ることで、著者は自分を語る。自分を語ることで、父を語る。


下層階級の両親のもとで育ち、長じて高い階級に属することになった娘。二つの階級を身をもって知る彼女なら、二つの階級の橋になれるのではないか。とちらっと考えてしまうわたしは、「階級」というものがわかっていなかったようだ。未だに少し困惑する。ときどき、どこにでもある親と子とのわだかまりのように見えないこともないから。
……そう簡単にはいかないのだ。二つの階級は、価値観があまりに違い過ぎて、水と油のようにわかり合えない。
娘は、両方の生活を知っているだけに、理解しあうのはあまりに難しい(たぶん不可能なのではないか)ということを、肌身にしみて確認してしまった。
越えられる程度の溝と思っているのは、生まれてから今日まで、どちらか一方の場所しか知らずに暮らしている純粋培養の人たちかもしれない。文盲で日雇い労働者の倅の、彼女の父のような。高学歴のブルジョア家庭育ちの、彼女の友人たちのような。
両者のあいだにある溝の深さや広さを理解できないまま、簡単に行き来できるつもりになっている人たちの無邪気な善意は、ますます両者を遠ざけているようだ。
「名指しがたい隔たり」ってそういうことなのだろうか。


読んでいて、娘から父への侮蔑は感じなかった。恥も感じなかった。ただ、父とのあいだにできてしまった隔たりに対する悲しみを感じた。この隔たりを、自分が感じているようには父が感じられないことに、諦めを感じた。申し訳なさとともに。


著者は、この作品を書くために長い時間をかけたそうだ。
「詩情をかもし出す回想も、愉快な嘲弄もいっさいなし。私はごく自然に、なんの変てつもない文体、かつて両親に近況をかいつまんで知らせるときに用いていたのと同じ文体で書く」と著者はいっている。
感情的な言葉は一切排除されているのに、わたしは、この文章が温かい、と感じる。この作品が、「名指しがたい隔たり」があった父に架けた、ほんとうの橋なのだ、と感じる。