『まっくら』 森崎和江

 

著者のデビュー作であるこの本は、1959年、筑豊の炭坑で、もと女性坑夫からの聞き書きを、月刊誌『サークル村』に連載したものだった。


カンテラ一つ咥えて、真っ暗な坑道に降りて、男と同等の労働(しばしば男以上の働き)をして来た女たちであるが、1950年代、労働基準法が制定されて、「男は仕事、女は家庭に」の声とともに、坑内労働から追われた。
封印され、忘却された女たちの声を著者は聞く。
「あんた、わたしの一生は小説よかもっと小説のごたるばい」


労働の過酷さ、無残さ。事故で簡単に命を落とす。ときには、生まれたばかりの赤子を背負ってさえ、地下に潜る。何日も日の目を見ないこともある。
仕事をあがったら、酒や博打の男たちと違って、炊事や家事が待っている。
それでもここにへばりつくしかなかった。食べていかなければならなかった。食べさせていかなければならなかった。
炭坑労働は、いきばのない人間が辿り着く、どん底の仕事で、炭坑の外の人たちからは侮蔑をこめて差別された。
女たちは、満足に学校にも通えず、ほとんど文字も読めなかった。
語っても語っても、語り切れない言葉を呑み込む坑夫だった女たちの、寸切れになってしまった言葉は、その外側に、言葉にならない何億倍の言葉があるようだった。
「……そして(話し手は)話しても話しても核心は伝えられないというように口をつぐんでしまいます」


その一方で、元坑夫の女たちは、昔を振り返ってこんな風にも言う。
「たのしかったな。つらいことも腹いっぱいしたが」
女同士結託して、坑内で口先ばかりの坑夫や、卑怯な事務方を手加減せずにやりこめ、復讐してやるのも、さばさばとしたものだった。
男と同等以上の働きをし、稼いだことも、誇りだった。
それなりの身じまいをして、思い思いにしゃれて、坑内に向かう若い娘たちは、りんとして美しかったという。
どん底で生きる女たちの矜持がまぶしかった。


著者は、女性の坑内労働からの解放(=性分業の定着)とを、労働運動の勝利とも進歩とも考えない。
「働く、ということがどのような非人間的なものであっても、そのことでつながっていた人びとの世界を持っていました。いまは、あのときよりずっとかわいた手ごたえのない世界にいると、多くの後山(主に女性坑夫)たちは感じています」


「老女たちは薄葉かげろうのような私をはじきとばして、目のまえにずしりと坐りました。その姿は階級と民族と女とが、虹のようにひらいていると私には思えました。」