『長いお別れ』 中島京子

 

物忘れや失くし物は、以前からそこそこあったのだ。だけど、ある時、東昇平は、行き慣れた場所に辿り着くことができなかった。それが、認知症という病名がはっきりしたきっかけだった。
それから十年の間に、徐々に症状は進んでいく。


東昇平と妻の曜子は二人暮らし。三人の娘たちは独立している。それぞれ、生活や仕事があり、忙しい日々を送っている。
老老介護の日々と、親たちを気遣う娘たちと、その周りの家族たちの困惑ぶりや奮闘が描かれる。
それぞれが、それぞれの事情で立ち向かわなければならない生活の大変さとともに、直面せざるを得ない家族の老い。


認知症老人の介護は、シビアだ。だけど、この物語は、ちょっとユーモラスだ。ここで笑っていいのかな、と思う暇もなく、いつの間にか、くすっと笑っている。
ふりかえってみれば、認知症の老人の介護には、笑える要素がたくさんある。ほんとうは笑いごとじゃないのだけれど、あの時の老人の言葉や行動、そしてそれを受ける介護者の反応、両者のあいだにうまれた間や、すれちがいさえも、四コマ漫画になりそうなおかしなエピソードがたくさんだ。渦中にいれば、なかなかそうは思えないのだけれど。まして、他人が「おかしいね」と笑うなんてもってのほかなんだけれど。
介護者本人たちが、ときには認知症の老人までも巻き込んで「あれもこれも笑っちゃうね」と言えたらいい、と思う。自分を笑い飛ばせるって、すごいことなんだよ(と時には我が身を持ちあげてもいいと思う)


昇平を囲む、十年間の家族の狂想曲を読みながら、ときどき笑い、ときどきほろりとし、ときにはぞっとしたりもしながら、その都度、自分自身のことや自分の家族のことなどを振り返り、考えた。


東昇平は、「帰りたい」とよく言った。どこにいても、自宅にいてさえも、(ここではない場所に)帰りたがっていた。
認知症という病気を「長いお別れ」というのだそうだ。長い時間をかけて、自分自身から別れていくから、だろうか。
昇平が帰りたかった場所は、別れつつある過去の自分自身だろうか。
最後には、言葉さえも失っていく昇平が、それだけは明瞭な「いやだ」という言葉も、長い時間をかけての別れへの抵抗だっただろうか。
「長いお別れ」、なんて残酷で、なんて悲しい言葉だろう。


妻の曜子の言葉が心に残る。
夫は、いつもそばにいる妻の名前さえわすれた。結婚して子どもを持ったことさえ忘れた。だけど、
「この人が何かを忘れてしまったからと言って、この人以外の何者かに変わってしまったわけではない」
近視眼的になりがちな介護の日々(ならざるを得ないのであるが)に、よい風を送ってくれる言葉だった。