『夜明けまえ、山の影で』 シルヴィア・ヴァスケス=ラヴァド

 

著者紹介の文には、「世界七大陸最高峰の登頂に成功した初のオープンリー・レズビアン」「生暴力被害者の回復を支援するNPO〈カレイジャス・ガールズ〉主宰者」などと書かれている。
この本のパートは主に三つ。
2016年、エベレスト登頂の記録と、
その登頂前にエベレストのベースキャンプまでを女性たち(性暴力のサバイバーたち)を連れてともにトレッキングした記録と、
自身が少女期に受けた卑劣な性暴力とその後(自分を解放するための闘い)を綴った生々しい半生の記録である。
すべてが、エベレストに収斂されていく。


カバーそでに書かれた、
「男たちの文化が「征服」の対象としてきた「山」と「女」」
との言葉に、はっとする。
著者は「征服」という言葉を嫌う。
本文中の著者の、
「世界の最高峰に立つために多くの資金をつぎこむ人は、山と溶けあいたいのではなく、山を征服したいという欲望につき動かされている」
という言葉にも、著者にとって、なぜ山なのか、という答えの一端が見えるような気がする。
「自分の小ささを知り、自分が、自分よりもはるかに大きいものの一部であると感じる」
エベレストは、母だった。
困難な道、文字通り命がけのその道中には、征服という言葉は微塵もない。一歩一歩が母の懐に溶け合うための道なのだ。著者と同じ苦しみを苦しんできた女性たちの思いも一緒に、著者は頂上へ連れていく。


なぜ被害者が、罪の意識にずっと苦しまなければならないのか。
なぜ被害者が告発の声をあげようとするだけで、脅されなければならないのか。
被害者を抱えた家族がなぜ、恥を感じてしまうのか。
時間は傷を癒せないのか……
真っ暗な中にいるうつろな自分を解放する方法を、被害者たちはそれぞれ探し求める。その方法はそれぞれ全く違うし、簡単ではない。どう見ても後ろ向きにしか見えないことだってあるし、まるで世界から消え去ってしまったように見えることもある。あるいはまるっきり何事もなかったように確実な歩を進めているように見えることもある。
歩き方は違っても、ひとりひとり暗い影を手さぐりで歩いている。


「初めてエベレストを遠くから眺めたとき、それは私を飲みこんでしまいそうなほど暗い色をしていた。とても不気味で、自分も自分の抱えている問題も、取るに足らない小さなものに思えた」という、その山の影の大きな暗がりは、今振り返ってみれば、自分の身を隠す場所というより、きて自分を解放しなさい、と手招きをしている場所だったこと、影はこちらを覆い隠すものではなく、仲間であり、わが家であることに気づく。素晴らしく気分がいい。