『私の欲しいものリスト』 グレゴワール・ドラクール

 

友だちにつきあって、軽い気持ちで買った人生初の宝くじが、たまたま1800万ユーロの当たりくじだったなんて。


ジョスリーヌは47歳の主婦。二人の子どもは巣立ち、夫がすでに彼女のことを愛していないことも知っている。
十代のころに母を喪い、続けて脳梗塞を患った父は、いまでは、六分間の記憶(六分ごとに白紙にリセット)しかもたない。
誰だって色々抱えているものだ。彼女自身、取り立てて日常に不満があるわけでもなかった。
そこに降ってわいたような1800万ユーロ。この先、一生こつこつ働いて得られる賃金の十倍もの金額の小切手が、ぽんと彼女の手の上にのせられた。


ジョスリーヌは、1800万ユーロで欲しいものや、やりたいこと、してあげたいことのリストを作る。何度もリセットして作り直す。
その項目を読んでいると、なんともささやかである。でも、そうだよね。こんな大きな金額でいったい何ができるのか、想像するのは難しいかも。
ジョスリーヌは、実際、お金を使う気配はない。だれかに相談する気配もない。ただ、リストが書かれ、リセットされ、また書かれるだけだ。
一生使わないまま終わってもいいじゃないか、ただ、ここに懐を温めてくれるものが、いざとなったらいつでも呼んでよ、といわんばかりに控えている状態は幸せなんじゃないか、と私なら思うのだけど、だけどジョスリーヌは……


ジョスリーヌの何度も書き直されるリストと、六分おきにリセットされる彼女の父親の記憶とが被る。
でも両者が決定的にちがうのは、前者には莫大な元手があることで、後者には何もない(空白)ということ。そして、不思議、平和で幸福だと感じるのは、空白しかないところから紡がれる六分のリストのほうだ。


あと、「核の抑止力」という言葉なども思い出した。
使うつもりはないよ、ただ持っているだけ。
それは安心と思うより、ずっと不安で恐ろしいものじゃないか、というところが一緒なのだ。
小切手が爆弾みたいだ。


ジョスリーヌは、物語のなかでどんどんきれいになる。若返っていくように。でもそれと反比例するように幸福が離れていくことも心に残る。