『黒部の山賊』 伊藤正一

 

戦争直後の1945年。北アルプス最奥の地、三俣蓮華の、管理主もなく荒れ放題だった山小屋、三俣小屋を、著者・伊藤正一さんは買い取る。
そのころ、巷はもとより、山も荒れていた。北アルプスには、人びとから黒部の山賊と恐れられる野人のような丈夫たちが闊歩していた。山から命からがら逃げかえった人々による、山賊に出くわした話は様々聞こえていた。
著者は友人を伴い、登山者のふりをして、山賊の巣窟になっていた三俣小屋を訪ね、山賊の頭目のもとで、恐れながらも一泊する。
それが著者と山賊との出会いであった。


その後、いくつかの(幸運だったり迷惑だったりの)めぐりあわせを経て、著者が三俣小屋の主となったときから、山賊たちは、著者のよき協力者となる。
彼らは、山賊、と恐れられているが、知り合ってみれば、それぞれに癖はあるものの、人懐こい山のスペシャリストたちだった。山を隈なく歩き回り(並みの登山者が四時間かかる行程をたった一時間で踏破した)、奥地で独りで越冬することもできた。
熊や鹿を何百どころか何千と撃った。
それは、密猟になるが、山には山の法があり、倫理があるし、なにしろ彼らはずっと山の主だった。彼らにとっての正論は法とは別のところにあり、悪びれなかった。
営林署の役人に追われ(でも、追う方も実は、彼らに敬意をもってもいた)、一方で、山に遭難事故が起れば、これほど頼りになる助っ人は他にいなかった。


山賊たちは四人。それぞれとの交流の記憶を紐解きながら、同時に山小屋の春夏秋冬の暮らしについて語る。
山の伝説や、いまもって謎でしかない不思議譚、それから山の動物たちとの暗黙の距離的ルールのことなど。
忘れられない登山者の思い出など、とっておきの話を、それこそ山小屋の夜、火にあたりながら、ぽつぽつと聞いているような気持ちになる。
そうやって、聞いていると、語り手たる著者自身こそが、ほんとうは山賊の頭目のように思えてくる。頼りになる山の頭目
話に満足したら、気持ちよく眠くなってきた。