『そして、ぼくは旅に出た。はじまりの森ノースウッズ』 大竹英洋

 

ノースウッズ(北アメリカ中央北部の広大な湖水地方の総称)の写真を撮り続ける写真家、大竹英洋さんは、そもそもなぜノース・ウッズを撮影のフィールドに選んだのだろう。
はじめてこの地を旅したときのこと(写真家を目指しての初めの一歩)を振り返ったエッセイである。


大学を卒業した年の五月の末に、著者は、ミネソタのイリー(ノースウッズの南端の町)を目指して旅に出る。この町には、写真家ジム・ブランデンバーグが住んでいるはずだった。
ジムの写真集『ブラザー・ウルフ』に魅せられた著者は、ジムの弟子になりたいと切望して、『ナショナルジオグラフィック』経由で手紙を書くが、返事はなかった。(ジムの手に手紙は渡らなかったことを後で知る)
それで、いくつかの手がかりのもと、ジムのスタジオがあるのはミネソタ州のイリーという小さな町であるとあたりをつけ、直接行って会ってみたい、弟子にしてほしいと頼んでみたいと思っての事だった。
イリーは、本当に小さな町で、ノースウッズの入口でもある。町にいたる公共の交通機関はなかった。長距離バスがとまる最寄りの町ダルースから約200キロ離れている。
非合法なヒッチハイクを旅行者の身でやることはできない。どうやって先に進んだらいいのか……。


そもそも著者がジム・ブランデンバーグの写真集を手に取ったのは、大学四年生の晩秋にみたオオカミの夢のせいだ。あまりに鮮やかな夢で、忘れることができなかった。オオカミの夢が、著者をこの旅に導いたと言っても過言ではないのだ。


大竹さんの旅の記録を読むのは楽しかった。若者の一途さが眩しかった。
数々の回り道をするが、長い目で見れば、その道がいちばんよい道であったことを知る。
「回り道は、幸運をつかむためには、とても大切なことなんだ……」ジム・ブランデンバーグの言葉だ。
究極の回り道は、森にキャンプしながら、点在する湖をシー・カヤック(初挑戦だった)で横切っていく八日間の旅である。次々の森でのアクシデントや生き物たちとの邂逅に夢中になった。


回り道の一方、ここぞと思う時には、「滝つぼに落ちていくように」思い切った行動に出た。機会を逃さず、飛びこんでいく。
道中の数々のよき出会いが、著者の夢を後押ししてくれる。道がない、と途方にくれたときに、力を貸してくれた人々の思い出がこちらをあたためてくれる。人々の温かさは、逆に言えば、著者自身の誠実さによるものでもあったことだろう。
ジム・ブランデンバーグを探す旅(そして、その後)が、思いがけない出会い(ああ、ほんとに、あれもこれも)に繋がるさまに、わくわくする。この出会いは、このままでは終わらない。


大竹さんが写真について語っている件も好きだ。
「ぼくが好きな写真は、そこになにかしら発見があり、見る側の想像力や思考を刺激するものです」
私が見た事のある大竹英洋さんの写真は、福音館の幾冊かの写真絵本だけ。とても少ないけれど、絵本のなかの写真こそがそういう写真(大竹さんが好きだという写真)なのだ、と感じる。
私の手許にある写真絵本『ノースウッズの森から』を引き寄せて、ときどき、絵本をパラパラしながら、ゆっくり読んだ。
この旅を終わりにしたくなくて、ゆっくり読んだ。