『「ノマと愉快な仲間たち 玄徳童話集』 玄徳(ヒョンドク)

 

ソウルの大通りからちょっと引っ込んだ路地を、小さなノマを始めとして、ここに住む子どもたちは行ったり来たりして遊ぶ。
『ぼくが一番だ』では、ひとりが、他の子どもよりも、高いところに登って、「ぼくがいちばんだ」といえば、次々に「いちばん」があらわれる。高いところから飛び降りて「いちばん」になれば、やっぱり次々に一番があらわれる。何が楽しいのか、放っておけば同じことを永遠に繰り返していそうな、子どもたち。
『ふたりだけの秘密』では、友だちと二人、何の目的もなく歩いているところに、別の友達が「どこにいくの」と尋ねる。訊かれた瞬間、なかったはずの行き先が二人きりの秘密になってしまう。
意地悪したりやり返したり、意地をはってみたり、ただわーんと泣いておしまいになってしまうこともある。
何と他愛のないことよ。だけど、その他愛の無さがまぶしいくらいに懐かしくて、子どもの頃の、なんてことのない思い出が鮮明に蘇ってくる。
1938年から39年の間に書かれた童話たちなのだ。そんなに昔の子どもたちのお話であることに、そして隣の国のお話であることにも、びっくりしてしまうほどの既視感。同時に、今の子もこれからの子も、きっとこんなことを考えたり感じたりして、こんな風に過ごして、大きくなっていくのだろうな、と思う。
子どもが通りで遊ぶ姿をあまり見なくなってしまったが、大人が気づかないどこかで、子どもたちはきっと子どもだけの世界を持っている、遊んでいるにちがいない、と想像している。


ノマの家は、貧乏だ。それは事情があり、お父さんが遠くにいて帰ってこられないせいだ。ヨンイやトルトリの家も同じような暮しぶりらしい。
彼らのなかで浮いているのが裕福な家の子キドンイで、ときどきほかの子が手に入らないような玩具やおやつを見せびらかす。そんなときはノマたちだってちょっと頭を使う。
とはいえ、たいていは、一緒に遊ぶ。一緒に遊んだほうが勿論楽しいのだから。


『みんな風の子』では、強い風の中を子どもたちがツルマギ(民族服のうわっぱり)の裾を持ちあげ、頭の上に広げてかざし、揃って走っていく。子どもたちは風になったつもりなのだ。見た事のない風はどんな姿をしているのだろう、と走りながらノマは考える。
「風はいま、ノマたちと同じようにツルマギの裾を持ちあげ、頭の上に広げてかざし、路地をピュー、ピューと走っているのでしょう」


『コオロギ』は、コオロギが鳴いているそばで、静かに座っている子どもがコオロギに似てくる。コオロギは子どもに似てくる。ただ鳴く虫のそばに、ひとり、ひとり、と静かに子どもが増えていく、その繰り返しの静けさと、にわかに弾ける瞬間。


ほとんどが同時期(1938~39)に書かれたものだけれど、ひとつだけ、『大きな決意』は、1945年8月15日のことが書かれている。
ラジオ放送を聞く大人たちをノマは見ている。
「ああ、これで助かった、これで助かった」
「もうこれで飢え死にしてもいい、死んでもいいわい」
苦しい苦しい飢え死にを、してもいいのだ、この今なら、と大人たちは言っている。
韓国の人々にとってのそういう日だったのだ、ということを肝に銘じておぼえておかなくてはと思っている。