『マルコとパパ 〜ダウン症のむすこと ぼくのスケッチブック』 グスティ


リアルなスケッチ、ユーモラスで動きのある漫画、写真のコラージュ・・・
そのうえに描かれた落書きふうのカットや文字、吹き出し、模様、さらに切り貼り、切り貼り。そうやって作られた一冊のスケッチブック。
描いているのは、マルコとパパ、両方だ。
マルコの事や、マルコに対する気持ちを、パパは描いていく。いろいろな方向から、いろいろな方法で。
マルコも描く。さまざまな色や形の線。顔。車。
二人のスケッチが重なる。
そうやって、マルコとパパ(そして、一家)の日常が、思いが、展望が、本のなかからあらわれる。


ダウン症のマルコを巡る家族の大変さは、もし書かれていたとしても、きっと実際の十分の一も理解できないのではないか、と思う。
ただ、この本を読んで、感じたことを、感じたままに書くなら……
なんという楽しさ、なんというのびやかさ。この世に唯一無二のマルコという男の子への愛おしさが、ページをめくるごとにあふれてくる。
「こんなの うけいれられない」
から始まったことが、
「『うけいれる』とは、さしだされたものを、じぶんからよろこんでうけいれることだ」
という言葉に結びついていく日々の喜びは、どんな困難が伴っているとしても、かけがえのないものなのだ、ということが伝わってくる。
その喜びを素直に、ただ素直に味わう。


パパがスケッチするマルコの姿から、子どものいい匂いがする。子どもの柔らかくて温かい匂いがする。弾けるような弾力を感じる。
這う、歩く、走る、座る、寝る、転ぶ、そして、誰かと関わる、何かをいじる。
世界に向かって両手を広げる。
あそぶ、あそぶ、あそぶ。(この本には「せいなるもの あそび」とかかれている。)
まわりのみんなは、あわてる、困る、笑う・・・一緒に笑う、一緒に夢見る。
障害があってもなくても。ある染色体の数が一本多くても少なくても。


「どの子もみんな、うまれつきの才能をもっている」
「ほかの子のようにおおきくならず、
いつまでも地上におちてきた天のかけらみたいなのも
うまれもっての才能だ」
こんなふうに、父親から言われる子どもの姿が、愛おしく見えないはずがない。


最後のほうのページに書かれている言葉「ダウン症のある子どもたちは絶滅の危機にひんしている。」に、はっとする。
この言葉に、それはすごくすごく残念なことなんだよ、という思いを感じるから。
ダウン症は病気ではない。きっと、ほかのいろいろなありようと同じように、この世の豊かさの一部分。
そういうことを確かに実感していなかったら、でてこない言葉なのだと、
この言葉にまず、驚いているわたし自身を振り返りながら、思っている。


私は、自分とは違うありように出会った時、少し緊張してしまう。
どういう配慮が必要なんだろうと考えてしまって、ギクシャクしてしまう。情けないけど。
それは、たぶん、いっしょにいることが未だに当たり前ではないからだ。


(障害だけではなくて、)いろいろな場面で使われる「分かれる」こと、「住み分ける」こと、そういうことが、誰かを追い詰めることになっていないだろうか。
そう思っていたら、追い詰められていたのは、追い詰めていると思っている側にいる人だった、とか、
そういうことであるような気がする。


『わたしたちのトビアス』セシリア・スベドベリ編(もう40年も前の本‼)のお祭りの場面を思い出す。
「うまく歩くことも、話すこともできない」車椅子の子どもたちが、他のたくさんの見物人から離れたところで固まっておまつりを見物しているところ。
ビアスの兄姉たちは「そういう子どもたちは、どうして、みんなのなかにはいらないのでしょう」と考える。
するとママはこういう。

ふつうの子どもたちは、
ふつうでない子どもたちを、おそれているのよ。
ふつうでない子どもたちのほうでも、
ふつうの子どもたちを、
こわがることだってあるのよ。


みんな、いっしょにくらさないから、
おたがいに、わかりあったり、
すきになったりできないんだわ

・・・トビアスも、ダウン症のあかちゃんだった。


マルコの兄テオにしても、トビアスの四人の兄姉たちにしても、親の心配などどこ吹く風とばかり、最初からこの弟のありのままを、全部喜んで迎えいれた。なんのためらいもなく。
子どもたち。わたしは、きっとこの年若い賢人たちに学ぶことがたくさんある。


マルコがダウン症だとわかったときのマルコの母アンヌの
「この子は、『こんなふうに』うまれてくる権利がある」という言葉を噛み締める。
「わたしたちは、いろいろおしえられるだろうし、それはすばらしい経験になるだろう」と、この子を抱いてこの母は言う。
わたしも、いろいろな人たちと一緒に暮らすことで、いろいろ教えられる。学びたい、学びつづけたい、不器用だけど。


私は、あなたを受け入れ、あなたは、わたしを受け入れる。
――よろこんで。