『小鳥たち』 アナ・マリア・マトゥーテ

 

この本には21の物語を収められている。
貧富の差の激しい社会である。
貧と富の間には、くっきりとした境界線が見えるようで、そこには、富から貧へのあからさまな侮蔑があり、貧から富への卑屈さや屈辱感などが、淀んでいるように感じる。
そうした淀みから、貧しく小さなひとりひとりを掬い上げた物語集と思った。


子どもの死についての物語がとても多かったことが心に残る。
どの死も、「なぜ」と声をあげたくなるくらい思いがけなくて、あまりに理不尽だ。
だけど、残酷な出来事にも、遺された人の苦しみや狂気にさえも、死者に手向ける花束のような、かすかな温もりのようなものを感じるのだ。遺された人への共感とともに。


子どもたちの想像力の豊かさも、心に残る。
思わず笑いだしてしまうのだけれど、『メルキオール王』の少年が心に紡ぎ出した喜ばしい物語の前で、語って聞かせた大人の物語は、あっというまに色褪せてしまう。
『嘘つき』の少年の嘘ってなんだったのだろう。
ことに好きなのは『枯れ枝』で、少女が名前をつけて可愛がっている人形は、他人がみたら棒切れにぼろ布を巻き付けたものにすぎないのだ。でも、彼女にとっては、どんな上等の人形よりも、かけがえのない友だちなのだ。
想像力って、なんなのだろう。
いくつかの物語には、ときどきマジックリアリズム的な描写が混ざるのだけれど、子どもたちの想像から生まれたものが凝って、物語のなかで像を結んだように思えてくる。
子どもたちの現実が過酷だからかもしれない。


ささやかな日々に降ってわいた一瞬の出来事がその人や周りの人たちの暮しを、思いもかけないものに変えてしまうこと。
周囲から軽んじられる人が思いがけない豊かなものを持っていたり。
とはいえ、そういうことが必ずしも幸福ではないことを時々思い知らされるのだけれど。


大体の物語は、どちらかといえば、苦く終わる。だけど、読後に心に残るのは、別のもの。透明な美しさ、そこはかとない明るさ、温かさだ。
いくつもの情景が絵になって甦ってくる。
枝切れの人形、島に翻っていた旗、手のひらの上のただ一枚きりの金貨、月にかけられたはしご……。