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この物語の始まりも終わりも、灯籠流しの夜だ。
それぞれの「小さな物語」を灯して、灯籠が水の上を流れていく。
この本の、戦後26年目に中学生だった希未たちと、私は、ほぼ同年代だ。
私には、戦争はずいぶん遠い話だった。親が戦争を体験していること、親族に戦争で亡くなった人がいることを知っていても、希未たちの歳の頃の私には、恥ずかしいけれど、ぴんとこなかった。
そんな自分の子どもの頃と比べて、広島の中学生たちにとっての(親・祖父母たちの)原爆は、なんて身近なものだろう。
「よく知っている人のことでも知らないことが多い」という言葉が出てくるが、それは、子どもたちが、「知らないこと」までもその人の一部として感じているからだろう。
実際、話を聞くまえから、子どもたちは、親たちの原爆による苦しみを、肌に感じながら暮らしてきたのだろう。
今日まで当たり前に続いていた日々が、明日からも変わりなく続いていく、と何の疑いも持たずにいた七万人以上の人たちが、一瞬にして消えてしまった。
遺された人たちは、悔いとともに生きている。
それだけではない。その後遺症や、時間が経ってからの病気の発症、ずっと後になっての死、さらに、生まれた赤ちゃんが病気になってしまうことなどの不安や恐怖も、抱えて生きてきたのだ。
原爆のあとに遺された人々の深い悲しみや苦しみ、悔いを、身近に子どもたちは、感じながら暮らしてきた。
物語の中には、いくつかの短歌が出てくる。小山ひとみさんという方の歌だ。それから正田篠枝さん。新聞の「歌壇」などに載ったそうだ。
あまりに思いがけない体験をして、言葉にできないほど深く傷ついてしまったとき、どんな慰めも励ましも、きっと受け入れようがないのだろう。
そんな心を動かす、同じ体験、同じ思い。
「読んだ人の心が歌った人の心と響き合って、深い悲しみや苦しみを共にするのだろう。--共にすることで励まされたり救われたりするのだと……」
歌の向こうに、たくさんの「小さな物語」が見える。
中学生たちは、文化祭での美術部の展示のため、身近な大人たちの体験を聞いていく。
集まった「小さな物語」を伝えること、それは、亡くなった人を悼むことであり、遺された人に寄り添いたいと願うことでもある。
「真の意味で悼む」という言葉が出てきた。
この物語が、辛い体験に満ちていながら、こんなにも静かで美しいのは、温かいのは、物語が、まるごと悼みだからだ。
「ひろしま」が、廣島、ヒロシマ、広島と表記される意味を考えれば、そこに、たくさんの「小さな物語」がある事に気がつく。
物語の中の「この世は小さな物語が集まってできている」という言葉が心に沁みてくる。
「小さな物語を丁寧に描いていくことこそが、大きな事件を描き出す最も確かな道」という言葉とともに。
久しぶりに最初から最後まで通してこの本を読んだ。
この物語に出会ってから、もう七年になる。その間に、わたしはどんな「小さな物語」を暮らしてきただろう。
吉岡先生の言葉が耳に残る。
「私たち日本人はあの不幸な戦争において、好むと好まざるとにかかわらず、加害者に与した結果になりました。また犠牲者にもなりました。私たちの罪も傷も実に大きく深いのです。いったい、どのようにその罪を償い、どのようにその傷を癒していけるのかーーこれからもずっと自分に問いながら生きていかねばなりません」
*『光のうつしえ』英語版『Soul Lanterns』感想↓
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