9月の読書メーター
読んだ本の数:10
読んだページ数:1473
ある犬の飼い主の一日 (新潮クレスト・ブックス)の感想
当たり前の一日は、何かが起きそうな(実際起きても起きなくても)小さなディテールのつみかさねで出来ている。当たり前の一日は、いつのことでもあり得るような出来事と、その日だからこその特別な出来事とで出来ている。続いていく一日一日の当たり前が、静かに色づき、脈を打って生きている。
読了日:09月26日 著者:サンダー・コラールト
ごきげんなすてご (BOOKS FOR CHILDREN)の感想
上の子が、赤ちゃんを受け入れるために、有形にしても無形にしても、何か、その子なりに納得できる儀式があったほうがいいのかもしれない。自分をとりまく環境はずんずん変わっていく、自分の意思だけではどうしようもなく。きょうだいを迎えることは、環境の変化の第一歩、環境と折り合いをつける第一歩かもしれない。
読了日:09月23日 著者:いとうひろし
ちっちゃい おおきい おんなのこの感想
ちっちゃいマティスが、いつのまにか自分が大きい子になっていたことに気がつくのは、ちっちゃい弟をあやしたり、お世話をしたりすることの喜びを知ったとき。それは、これまで自分がちっちゃい子でいられる時期をたっぷりと楽しんでこられたからだろう。最後のページのこどもたちは、ともにちっちゃいおおきいこどもたち。
読了日:09月21日 著者:クレア・キーン
トラや (文春文庫)の感想
「いつのまにか一家統合の要になっていた」トラが亡くなったあとに、「永遠の不在は、遺された者のうちに不在というかたちで残る」どうしようもなくさびしいけれど、不在まで手放すことはきっともっとさびしい。ゆっくりゆっくり。不在とともに暮らしていこう。
読了日:09月19日 著者:南木 佳士
チャイナタウンからの葉書―リチャード・ブローティガン詩集の感想
詩人のなかには、一人の無邪気な子どもがいて、その子はいつでも何かに憧れているのに引っ込み思案で、寂しがり屋で傷つきやすい心を持っているようだ。空の星に憧れて、長い棒を振り回したりもするが、思った通り、届かなかったことにひそかに落胆しているような、そんな子ども。
読了日:09月15日 著者:リチャード ブローティガン
死への旅 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)の感想
最後には、まさかそんなことが、のオンパレードで、びっくりしっぱなしだったけれど、一部、あそこまで行ってなぜ、と納得出来ない部分もあった。死にたがりのヒラリーが冒険の間にどんどん元気になっていくのは楽しかった。彼女には、これからも元気でいて欲しいな。きっと大丈夫、と思うけれど。
読了日:09月12日 著者:アガサ・クリスティー
海鳴りの丘 (1981年) (あたらしい文学)の感想
『夏の終りに』から引き続き、なんとも言えない気持ちになるのは、身勝手な大人のために振り回される子どもたちのこと。「祖母」の「大切なのは目的地ではなく、とちゅうで見るもの」との言葉が心地よい。読書もそうかもしれない。遠くにいつでも見えている(でもなかなかいくことが出来ない)白い灯台が象徴的。
読了日:09月09日 著者:ジル・ペイトン・ウォルシュ
夏の終りに (1980年) (あたらしい文学)の感想
美しい風景描写。夏の森も茂みも、広がる海も、みんな眩しいような美しさだ。だけど、どの場所も大きな危険を隠している。甘さと苦さは紙一重。必要以上に苦いものを子どもに飲み込ませているのは、子どもを保護する側の大人かもしれない、と思うとやりきれない気持ちになる。
読了日:09月07日 著者:ジル・ペイトン・ウォルシュ
時ありての感想
物語も終わりに近づくと、気がつき始めることがあるのだけれど、まだ気がつきたくない、もうちょっと、と思いながら読んでいた。この物語がまるまる幻想的な詩のようで、エメットが追いかけていた詩集『時ありて』は、私が読んでいるこの本のことだったんだよと言われたら、そうかと思うだろう。そうだったらいいなと思ってもいる。
読了日:09月03日 著者:イアン・マクドナルド
水平線のかなたに 真珠湾とヒロシマ (文学の扉)の感想
わたしの目と耳は、きちんと使えるように開いているかな。いつでも知りたい本当のことが、ごまかされたり、曖昧にされたりすることなく、しっかりと伝えられるように、気をつけているかな。ホノルルと広島近郊生まれの二人の児童文学者の友情が心に残る。辛い過去の物語が、未来への希望の物語にかわる。
読了日:09月01日 著者:ロイス・ローリー,ケナード・パーク
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