『少年動物誌』 河合雅雄

 

霊長類の研究者で、児童文学者でもある河合雅雄さんの少年時代の物語です。
1930年代の兵庫県篠山。田んぼが広がり、家の周囲には川や藪、山があった。屋根裏にはヌシ(アオダイショウ)が住む。日暮れには梟が鳴き、鳥小屋のニワトリをキツネが狙っている。
家の周りには、あふれかえるほどの虫、小動物、鳥、魚たちがいた。


生きもの三昧の少年時代、というと、わたしは、明るさや喜び、憧れなど、何か甘美なものを思い浮かべるが、ここに書かれている少年時代は、生臭く、禍々しいといえるほどの暗さと背中合わせなのだ。
それは子どもたちの残酷さ(子どもなりの独特の道徳のようなものに沿っての行動である)のせいでもあり、彼らのまわりに迫る、いつでも命までも奪っていきそうな自然の手の恐ろしさでもある。
そして、子どもの狩場では、子どもに見える現実と膨れ上がった想像力などが見せる暗い幻影とが混ざり合い、一種独特の魔界の様相をみせることもある。(新種の昆虫を求めてさまよう暗い森のただならぬ気配など)


生きものを狩り、捉えることへの執念のようなもの、その合間にふと湧いてくる狩られるものたちへの慈しみと尊敬みたいなもの(たとえば、ずっと追い続けていた瀕死のタヒバリは、ただの獲物ではなくなっていた)
そして、自分の手の内で息絶える小さなものに対する悔恨など(名前をつけて飼いならしたスズメの子など)心に残る。


病弱で学校を休みがちだった少年にとって、周囲の生き物たちとの交流は、人との交わり以上に(苦さも含めて)濃厚なリアルだった。
最後の章は、夏の間庭で飼っていた生き物たちが次々に死んでしまった秋で終わる。
「なんにも生き物のいない動物園は、さむざむとしたただの裏庭だった」という言葉で、夢から醒めたような気持ちになる。