『誰もいないホテルで』 ペーター・シュタム

 

スイス北東部トゥールガウ州の丘陵地帯を舞台にした短編集である。
人が日常を踏み外してしまうときって、何がきっかけだったのだろう。
些細なことの積み重ねだったのかもしれない。自分のなかに以前から隠れていた、ちょっと厄介なものに、気がついてしまった、というだけのことかもしれない。
とても大切だと信じていたものが、ほかの人たちにはとるに足らないものだった、ということに、いまさら気がついて茫然とすることもある。
自分のある行動が、そんなつもりはないのに、周りの価値観により、別の色に色付けされてしまうこともある。


静けさを求めて山奥の湯治場にやってきた作家。
森で寝起きする少女。
人付き合いの苦手な晩熟の農夫。
信任篤かった前任者と、タイプの違う新しい牧師。
第二の人生を計画する守衛だった男。
熱心なピアノ教師。
……。


彼らの胸の内で何かが目を覚まし、名指しがたい何かに変わっていく様子がよくわかる。人の気持ちって、人という入れ物の中に入った、不思議な生き物のようだ。
生きものを呼び起こすのは、外部の誰か。その誰かも、人ではない生き物に思える。人の姿をした別の生き物が、人の中にいる生き物に、接触したような感じだ。
呼んで呼ばれて、呼び合っているように思える。
まるで森から現れて、また森に戻っていく鹿に似た彼女。
翼を広げて頭上を覆う大きな鳥のような彼。
あるいは、急いで駆け巡る小動物のような彼や彼女や。


そういうとき、表題作『誰もいないホテルで』の中に現れるあのセリフ、
「あなたは電気や水よりもずっと多くを得ている」
のように、もしかしたら、説明しようがない、かけがえのない時間を体験したのかもしれないのだ。


読後感は、ちょっと滑稽なのもあるし、不快なのもある。ああ、なんと残酷な、と思うものもある。だけど、どの物語もあとになってふりかえってみれば、満たされた気もちになっていることに気がつく。
形のないものが形のないままに、スケッチされていくのを、ゆっくりと眺めていく、その過程のなかに、それぞれへの、目に見えない承認のようなものを感じる。
物語の舞台に漂う、清澄な空気のせいかもしれない。