『忘られぬ死』 アガサ・クリスティー

 

物語の最初から、ローズマリー・バートンはいなかった。自分のバースディ・パーティの席上で、毒入りシャンパンを飲んで亡くなっていた。彼女は、病後の鬱状態にあったと思われ、そのせいで自殺した、と信じられていたが、後になって、他殺だったのではないか、という疑いが持ちあがった。
そうだとしたら、彼女と同じテーブルについていた六人の家族・友人たちの誰かが犯人、ということになる。
ローズマリーが亡くなってほぼ一年後。再び同じ場所で同じメンバーでパーティーが催される。そして、まさかのフラッシュバックか……。


まずは、なぜ。そこで。あなたが。死ななければならなかったのか。
他殺、というのなら……
舞台はレストランのなか、関係者以外にもたくさんの目があった。ここで、殺人が行われることはどうあっても不可能だったのだが。(ということは、不可能を可能にする方法がどこかにあるってことなのだ、もちろん。だけど。だけど、いろいろな「だけど」を、言いたいけれど言えません。ほぉー……)


同じテーブルの六人それぞれが、舞台にあがり、自分とローズマリーの思い出を語る。六通りの語りから、ローズマリーという女性の陰翳が徐々に浮き彫りになっていく。愉快な思い出ばかりではないところで、生き生きとした姿が浮かび上がる。
同時に、ローズマリーについて思い出す六人それぞれの生活や人となりも浮かび上がってくるのだが、こちらは、語られれば語られるほどに実像が見えなくなっていく。
なにしろ、最も犯罪から遠いと思われる人であり、同時に犯人になりそうな人でもある、という極端な要素を併せ持った人たちなのだから。
六人、くせのある言動にもかかわらず、その姿は曖昧だ。それぞれを結ぶ関係も希薄だと感じる。生きている人たちなのに。
一方、亡くなったローズマリーのほうは、この世にいないのに、不思議なくらいにしっかりとした存在感だ。
物語をひっぱっているのは、いない、見えない、ローズマリーなのだ。
 「ローズマリーは死んだんだよ」
 「そうかしら? ときどき――あのひとはいまも生きているような気がするの……」
濃い死人と、どちらかといえば影が薄そうな関係者たちが作り出す奇妙な雰囲気が、印象的だった。(と油断していると、もちろんちゃんと悪いのが混ざっているし、ほかにもいろいろとびっくりさせられる。おもしろい……。)