『その花の名を知らず 左近の桜』 長野まゆみ

 

シリーズ四作目のこの本を読む前に、一作目の連作短編集『左近の桜』を読み、桜蔵(さくら)が、宿屋「左近」の長男であること、「左近」の女将である母と、内科医の父・柾は、夫婦ではないこと、桜蔵自身も父と母の実子ではなく、その出生には秘密があるらしいことを知った。
ということで、この本『その花の名を知らず』を手に取る。
こちらは長編である。
桜蔵の、人ならぬものをひろってしまう体質(?)は相変わらずだ。ただ、今度のひろいものは主に、父方の実家・白鳥家と母方の左近家の、ゆかりの人たちなのだ。


始まってすぐに、乱れ散る桜の花びらと血の色、そして足元に転がってくる髑髏に驚かされるが、おどろおどろしい話にはならない。描き出される場面場面はあくまでもしっとりと美しい。足元の闇さえも。毒さえも。
白鳥家の先代は有名な女たらしだったことから、当代の柾(桜蔵の父)の妻・遠子は
「ファミリーツリーは、ふつうならピラミッドになるところが、白鳥家では高さはあまり変わらないまま、くし形になってゆくの」
と言っている。笑ってしまったけれど、この「くし形ファミリーツリー」は、やたら複雑にからみあっていて、うっかりすると物語のなかで迷子になる。
跡取りの柾夫妻でさえも、一族の全貌はとてもつかめないというのだから厄介だ。


始まりは、祖父の眠る霊園だ。そこで桜蔵は、あるはずのない場所、時間に、紛れ込んでしまう。
祖父が残したはずの(茶の湯の)碗がみつからない。黒い柘榴と白い柘榴を意味する(そして、実は蛇を意味する)「黒蛇(ざくろ)」「しろうず」という対になる碗(と、持ち主となった人の人生)をさがしたい。もしかしたら逆かな、碗のほうが桜蔵を探しているのかもしれない。
柾の妻・遠子が何気ないふうに言った言葉「蛇遣いが必要だもの」に、はっとして、桜蔵の体質の秘密(役割?)は、それかな、と思っているのだけれど、どうなのかな……。


桜蔵はどこにいるのだろうか。夢の中だろうか、現だろうか……境界も知らずに漂う感じは、まるであてのない旅をしているようだ。
夢の中で、白鳥家と左近家との思いがけない絡みを見つけたり、忘れ去られていた人の足取りを見つけたり、いくつかの謎が、目の前で解けていくが、なんのこともない、解けた謎は、さらに大きな謎の入口でしかない入子細工なのだ。
長い旅を終えて(まだ途中なのかも)、途上で出会った人々はいったい何を桜蔵に託そうとしたのだろう。告げようとしたのだろう。


あの人もこの人も、平たく言えば、幽霊なのだ。だけど、怨念のようなものはない。
たぶん、彼らはずっと、守って、待っているのだと思う。来るべき人に、つつがなく、何かを手渡すために。
だから、やはり、この旅は、まだ途上なのだ。