『大統領の最後の恋』 アンドレイ・クルコフ

 

第一章は1975年3月のキエフ。僕は14歳で酔って家に帰る所。
第二章は2015年5月のキエフ。私はウクライナの大統領で、このときは心臓移植手術の一カ月後。
ばらばらな時期のばらばらな場面の短い章が、脈絡なく続いているように見えて、最初は戸惑った。
やがて、どの時代の僕も私も同一人物であることがわかる。そして、ばらばらだった時期は、3つの時代の続き物語にまとまってくる。
ひとつは、青年期の物語。学業も職業も中途半端で、次々に女の子を追いかけ回していたちゃらんぽらんな青年だった。
(ちゃらんぽらん男は、ちゃらんぽらんなりの誠実さ、やさしさがあり、そのおかげで、年齢や職業を越えた友情も生まれた。世間からはみ出したところで右往左往している人ばかりが集まってくる彼の青年期の物語は、暗闇の中の小さな灯りみたいで、ちょっといい感じだった)
二つ目は、四十代頃の物語。彼は某省の副大臣になっていて、子を持って良き家庭を作ろうと夢を育んでいた頃。


そして、最後が、ウクライナ大統領となってからの壮年期の物語だ。


たくさんの登場人物をのせて、短いぶつ切りの三時代の物語が続く。
三つの時代の物語はそれぞれ、同時進行の独立した物語として読んでも、三つそれぞれ、おもしろいのであるが、あるところから、とっちらかっていたあれこれが、急速にぴたぴたとくっつき始める。その頃には、いろいろ陰でひそかに進行していた事態が露わになってくる。


人々の頂点に立って、華やかに手を振る大統領、氷入りの水風呂を愛する大統領、尊大な大統領……は、やっぱり、根はちょっとやさしい。青年の頃のままに。
だけど、いまや信頼できる友はなく、孤独で、国の(あるいは、一部の人びとの)人質のようだ。
大統領は、ただのお飾りで、まわりの人間たちにいいように転がされている感じ。
敵対する人間も味方も、どちらも胡散臭くて、人がゲームの駒のようにあっちこっちに飛ばされてぱたぱたと消えて……。


……この物語を読み終えたあとも、ほんとうにすべて解決したかどうかわからないのだ。
それでも……この純情な男の幸せが続きますように、と願う。国のためじゃなくて、彼自身のために。