『どんぐり喰い』 エルス・ペルフロム

 

「どんぐり喰い」とは、金持ちの連中に言わせれば、豚に食べさせるどんぐり(食用のどんぐり)まで食べる「あわれな連中」のことである。
フランコ独裁政権下のスペイン、アンダルシアの山村に暮らすクロは、「あわれな連中」の一人、ということになる。
村のほとんどの人たちは、山の上の修道院の仕事をして、わずかばかりの賃金を得ているが、それではとても食べてはいけないのだ。
クロの家では、暖を取ったり煮炊きするための薪さえない。
周囲は、荒れ放題の、しかし実り豊かな山々(クロの父に言わせれば、手をかければよい畑になる土地なのだそうだ)
山で木々はたくさんの実をつけ、薪は拾い放題のはずだ。だけど、ここは、遠い町に住む地主のもので、小枝一本拾うことは許されない。見張り番が巡回し、盗もうとするものは、最悪撃ち殺される。
クロは、一年間しか学校に行っていない。家族のために働かなければならなかった。
やぎ飼いから始めて、建築現場の下働き、なんでもやった。


クロに言わせれば、ここには、金持ちか、自分たちのような貧乏人しかいない。間はないのだ。そして、二者の間には、高い壁がある。同じ種類の人間だろうか、と首をひねりたくなるほど。
金持ちの筆頭に数えられるのが、山の上の修道院長だろうか。
彼は飼い犬をかわいがることを日雇いのクロたちの前でみせつける。クロたちが一度も食べたことも、それどころか目にしたことさえもないごちそう(ミルクに浸したパンや、卵焼き、ステーキの一切れ)を犬に食べさせるのだという。
この修道院長をはじめ、クロの十週間分の賃金に相当する値段の肌着を当たり前のように買う金持ち連中の、冷酷さ、鈍感さは、何なのだろう。
彼らが、人ではない奇妙な生き物に見えて、悔しさや怒りよりも、不気味さを感じてしまう。
だけど、彼らの品性のない生活ぶりを、クロは、ことこまかに描写することで、彼らを笑いとばしてしまう。すきっ腹で思い切り笑うことで、一段高いところから、相手を見下してしまう。


一方、クロの周りの人々(家族や近所の人たち、同じような生活水準の人びと)を描き出す言葉の温かいこと、やわらかいこと。
彼らには自尊心がある。どんなに貧しくても物乞いはしない。
そして、朗らかで愛情深い家族をどんなに大切に思っていることか。
読み終えて蘇る鮮やかなあの場面もこの場面も、これ以上の財産はないよ、ほかの何とも取り換えたくないよ、という、胸を張っての宣言みたいで、ひときわ眩しい。
その日暮らしで年がら年中腹を減らしているというのに、なんというお大尽だ。