『父の時代―息子の記憶』 金源一

 

朝鮮半島が日本の植民地だった時代から、朝鮮戦争まで。
日本からの独立を悲願に心ひとつにして闘ってきた運動家は、その後、右と左に分かれる。
そして、いたりいなかったり、ほとんどいなかった父は本当に消えてしまった。


父の子は、姉を筆頭にして四人。姉弟の歳の差は大きく離れている。それはつまり、そのとき、まがりなりにも父が家にいた、ということなのだ。


母が言うように、父は「家族の面倒も見ずに『思想と女にのめり込んだ狂人』」だった。
また世間の人がいうように、父は偉大な思想家で活動家だった。
ある人が言うように「情熱的な性格で、情け深い人だった。しかし、思想闘争の過程で冷徹にはなりきれず、他人が受けるべき非難まで金さんがかぶる場合もあった」という、そういう人だった。
女にだらしがなく、関係を持った女性は、この本に何人いたことか。それでも、巷では「そりゃ英雄色を好むってもんだ」と笑って受けとられた。
「僕」は言う。「裕福な家に生まれた甘えん坊の一人息子であり、外見も性格面も柔弱な学者のような父が、どの瞬間にどんなことに惹かれて共産主義に足を踏み入れてしまったのか、私はその動機を推し量ることができなかった」


読んでいると、父のイメージがどんどん変わってくる。
父の足あとを追う息子もまた、追えば追うほどに、違う父が現れて、その都度、とまどったのではないだろうか。
むしろ、浮き上がってくるのは、時代と人々の様子。人の心の移ろいやすさなどだ。
「僕」の父は、ある時には甘ったれの放蕩者。或る時は「英雄」で「先生」だったが、その数日後には、近隣の人びとに忌み嫌われる賊になる。など。
そして、国の指導者たちは、末端で命がけで働いてきた活動家たちを、利用するだけ利用して、最後にはいともあっさりと切り捨てるものだ、ということ。など。
短い期間に社会はくるくると変わり、人々の生活も変わるが、変わらないのはずっと飢えていたということだろうか。


父を追いかける事は、母を浮かび上がらせることでもあった。
あの父の妻になったばかりに、なんという生涯だったことか。生きているのが不思議なくらいだ。
寡黙な母が口を開けば、口汚いくらいの恨みごとと小言だ。
それでも、彼女は、馬のように働いて、参らなかった。
一人で四人の子を育て、決して手放さなかった。なんとか教育を、と望んでいた。
やさしさという言葉が一番そぐわないような母が、誰よりも慕わしい人に思えてくるし、労りの気もちが湧き上がってくる。


とうとう家族の前から完全に消えた父の生涯を知ることは、「僕」自身を知ることだ。自分がどんな地面の上に立っているのか知ることだ。
「僕」は、鏡にうつる顔が親し気にこちらを見返しているのをきっとみつけた。その後ろに広がる大地と、その上に立った懐かしい顔も。