『雨に打たれて』 アンネマリー・シュヴァルツェンバッハ

 

作者は1942年、34歳のときに自転車事故で亡くなったそうだ。
訳者解説によれば、
「アンネマリー・シュヴァルツェンバッハは、その人生そのものがドラマチックだった」という。
短い生涯を生き急ぐかのように世界を旅し、小説家として、写真家として、才能を発揮した。
この本に収められた14篇の短編は、パレスチナ、シリアを舞台にした七作品、ペルシアを舞台にした七作品からなる。時代は1930年代ごろで、作者の体験に基づいている。


中東での物語だけれど、ヨーロッパ人たちの小さな共同体の物語が多かったと思う。それは何かが行き詰っているのにそれをずばりと指摘するのを避けるような、独特の雰囲気なのだ。
ここに長く暮らしている人も、通りすがりの旅行者もいる。そして、明日にもこの地を立ち去ろうとしている人も。多くは立ち去りたくても立ち去れない人たちだ。
この時代に、ヨーロッパからはるばるオリエントにやってきた人たちはそれぞれに事情がある。その事情に思いを馳せている。
第二次大戦前夜のヨーロッパがどんなふうだったか(ことにユダヤ人にとって)ということは容易に思いつくけれど、オリエントにはオリエントの事情があった。
訳者解説で、物語の背景(史実)について書かれていて、あの作品のあの出来事はそういうことだったのか、あの人はだからあんなふうだったのか、と初めて知ることが多くあった。


『移民』 パレスチナに行きたい、というヘブライ人少年が、「わたし」たちのコンパートメントにあらわれるが……。この先、「わたし」にはどうすることもできないこと。
『伝道』は、教会の鐘の音。『女ひとり』の、帰ることができたとしても帰ら(れ)ない男爵夫人。


ほとんどが「わたし」の目を通して語られる物語だ。「わたし」は旅行者であり、あるときは遺跡発掘グループの一員である。行きずりなのだ。
そのせいだろうか。どんな物語にも、どんな登場人物にも、「わたし」は深く立ち入ろうとはしない。あちらでもこちらでもドラマが起こりつつあるけれど、そのドラマの上をさらっと渡り、頬をちょっと撫ぜて吹きすぎていく風のようだ。さばさばして潔いと思うし、また物語のある場面や横顔が、そこだけ静止した画像のように心に残る。


そして、胸に広がるオリエントの光景。
夜に黒々と広がる砂漠の上に遺された轍が車のヘッドライトに照らされる。茫漠とした砂の上をただ轍だけを道案内に車は進む。
あるいは、目の前には半ば砂漠化した茶色の平原。その先には山肌がむき出しの黄土色の山。夕日を浴びると素晴らしい輝きを帯び、滑らかな動物のようになる。
または、庭の前を通る隊商路。遠くから鈴の音が聞こえる。ラクダが歩くたびに、鞍のバッグの房飾りに吊るした鈴が揺れて音を出す。夜通し聞こえる。