『極北』 マーセル・セロー

 

極北、シベリアにある小さな町エバンジェリンはクエーカー教徒の入植地だったが、今は、ほとんど無人だ。それはこの町だけではない。
世界に何が起きたのか、ぽつぽつと語られるが、何もかもが書かれているわけではない。
この町でひとり生き延びた「私」ことメイクピースも、なぜそこに一人でいるのか、それもぽつぽつと語られるが、やはり、事細かに綴られるわけではない。


「そして今、私は正しさというものが消滅してしまった世界に生きている」
文明の火は消えてしまった。放射能に汚染されたり、炭疽菌のような毒が蔓延した場所がある。そしてここは極北。簡単に人の命をとりあげる極寒の地だ。
でも、毒や寒さより怖ろしいのはヒトに出くわすことかもしれない。
生き延びるために、情け容赦ない環境では、情け容赦なく立ち向かうしかない。
次々に出会う出来事は、この地で生きることに慣れてきているメイクピースでさえ、思いがけない。読んでいるこちらは、最後の最後まで気が抜けない。
生来の野生はとぎすまされていく。


「そこには、ものごとがなされるべきやり方があり、生きていくために役立つものと、役立たないものがあるだけだ。偽善が入り込む余地はどこにもない」
生き延びることだけが唯一の正しさになったこの世界では、嘗ての価値観がひっくりかえる。


「私は希望によってつなぎ止められるのと同じく、負の要因によってもつなぎ止められていた」
という言葉が鮮やかに心に残っている。
命をつなぎとめるものは、一種類、一方向だけではなかった。
相反する方向に引っ張り合っているように思えたコインの裏と表とが、そろって何かを支えている、ということもあるのだろうか。


主人公のモノローグのなかにあらわれる、ノアの箱舟から飛びたち小枝を咥えてもどってきた鳥が心に残っている。
世界は変わった。さらに変わりつつある。それでもここで人は生まれる。人は生きていく。
不思議な明るさが満ちてくるのを感じているが、それは、ずっしりと重たい覚悟からくる明るさなのだ。