『レインコートを着た犬』 吉田篤弘

 

 

つむじ風食堂の夜』『それからはスープのことばかり考えて暮した』に続く〈月舟町〉シリーズ三部作の完結編とのことだ。


あいかわらず、十字路の食堂(人呼んで、つむじ風食堂)は、迷える人たちの足元を照らす灯台であり続ける。だけど、見渡せば、商店街の店一軒一軒もまた、それぞれ灯台だったじゃないか。
町の人は、その店に足を向け、立ち止まり、ときどきは、ちょっと話し込んだりして、それからまた出かけて行く。
迷い人に、私が足をつけている場所は他でもない、ここなんだ、と気づかせる、そういう灯台


ふざけているんだかまじめなんだかわからない店主たちの話を聞き流していると、ときどき、あれ、と思うような言葉に出会って、小さな声で「そうか」と言ってみたりする。そういう灯台なのだ。


「ただ、わたしのこの屋台はね、云ってみれば、世の中のどんづまりにある最後の楽園みたいなものだから。
他に行くところがないから、ここに辿り着いたような、そういう人たちのために開いてるわけ」(おでん屋台のサキさん)

「可能性っていうのは、どこか遠くにあるわけじゃなくて、ここにこうして座っていれば、よく知っているものが自然と移り変わって、新しい可能性がいくらでも広がってゆくんです」(果物屋、兄)

「昨日ここで飯を食って、ああそうか、言葉にできるものなんて大したことねえんだなと思い知ったよ(中略)理屈なしに好きだっていう思いに、あとから理屈をつけようったって、しょせん無理な話だ」(古本屋のデ・ニーロ親方)


と、それぞれの店主のちょっといいなと思う発言をメモしているうちに、今更だけど、気がついた。映画館「月舟シネマ」以外、どこの店にも名前がない。古本屋も、果物屋も、もちろん食堂も……。月舟町の物語はおとぎ話だから。
それなのに、そこは、唯一無二のお店として、目に浮かぶ。それは店主のせいだな。名もない店が唯一無二になるのは、個性的な店主たちのせいだ。


町は、少しずつ変化している。
いま、「月舟シネマ」を中心に、商店街の小さな店の店主たちが、遠からず迎える店じまいに向けて、ぽつぽつと動いている。
閉める最後の瞬間まで、主たちは、自分がそれをどんなに好きか、と繰り返し確認するだろうし、それが永遠に続くかのように、丁寧に手当てをするのだろう。
消えていくものがあり、これから始まるものがあり、続いていくものがある。
すべて、ここにある。


この物語の語り手は、「月舟シネマ」の看板犬ジャンゴ。
表紙の絵がたぶんジャンゴ。犬は笑えないといわれるけれど、ジャンゴは、犬だって笑いたい、と考えている。笑顔で相手(人)に気持ちを伝えられたらいいのに。
一番最後のページに表紙と同じ絵があるが、ほんのほんのちょっとだけ違っている。
間違い探しみたいだけど、すぐにわかる。^^