『ロッテルダムの灯』 庄野英二

 

「学窓を出て最も哀歓多かるべき時期を、私は同時代のほとんどの人々と同じように戦場と兵舎ですごしました。この本には、何ら戦争に関係あるものだけをえらんでみました」
ロッテルダムの灯』初版のあとがきの一部である。
1937年、22歳で入営以来、本来なら兵役は二年であるところを、「日華事変が始まったため、引き続き召集」ということになり、家に帰れたのは、入営から十年の後だった。
十年の兵役……気が遠くなる。


いずれも戦地の思い出を語った三十二編のエッセイ(一部は小説?)である。


「廃墟の死の町」の暗闇をぬって聞こえてくるクリスマス・キャロル。『クリスマス・キャロル
灰色の世界に慣れてしまった筆者の目に飛び込んできた紅とピンクのカーネーションの鮮やかな紅とピンク。『カーネーション
延々と続く麦畑の行軍中、戦友のポケットから零れ落ちた色とりどりの水彩絵の具。『美校出の兵隊』
飢餓と戦う虜囚時代にさえも「まばゆいお菓子のようにも」感じられ、著者を慰めてくれた一冊の本のこと。『借りた本』
そして、今も夢のなかで、いなないて著者を呼ぶ馬ハナジロ。『松花江
……
小さな美しいものが、鮮明に浮かび上がってくる。思いがけない宝物のように。見る間に消えてしまう夢のように。
だけど、もし戦争がなかったら、どれも、みんな、身の回りにある当たり前の風景だったはず。それらは、こんなにも美しいものだったのか。儚いものだったのか。油断をすれば、あっというまに手からすり抜けていってしまうほどに。


周囲から色が消えれば消えるほど、小さな差し色が心に残る。
命が軽く扱われるほど、小さな命の尊さが迫ってくる。