『リスタデール卿の謎』 アガサ・クリスティー

 

名探偵は一切出てこない12編。
主人公はごく普通の人々。
よく考えてごらん、そんなうまい話あるわけないよ、といってやりたくなるような広告に乗って、条件が良すぎる素晴らしい家具付きの邸宅を賃貸することを決めてしまったり、仕事の内容も雇い主もわからない高額報酬の仕事に応募したりするのは、現在の暮らしにおおいに不満を抱えているから。
あるいは、駐車場で車を間違えたり、海岸の着替え小屋でズボンを間違えたりしたことをきっかけに、自分が事件に巻き込まれたことを知ることもある。
「すぐにきてほしい」という間違い(?)電話に呼び出されたり、乗っている列車の客室にとびこんできた美女に助けを乞われたり、連れ合いに殺されるんじゃないかと疑いを抱いたり。
そのようにして、人は、事件に巻き込まれてしまう。
犯罪が進行しているのかもしれないし、ほかの何かかもしれないし、結果として、ああ、それはよかったね、と思うこともあれば、そうではないこともある。
まんまとやられてしまうこともあるけれど、やられ方が鮮やかで、妙に晴れやかな気持ちになることもある。


おもしろいなあ、と思うのは、まきこまれた人たちの変わりようだ。
(そうじゃないのもあるけれど)揃いもそろって冴えない人、不運な人、かつかつの生活にため息ついたり、イライラと不満ばかり並べたてている人……そんな人たちが、物語のおしまいには、なんだか、ちょっと別人みたいになっている。しゃんと背中がのびて、どこかに余裕を感じる。
追い詰められて切羽詰った状況を何とか切り抜けながら、心は冒険が始まることにわくわくしているではないか。
そんな変わりようを楽しんだ12編だった。


好きなのは、車を間違えちゃうやつと、ズボンをまちがえちゃうやつ。
いちばんおしまいの作品の主人公の最後の言葉「お芝居はこれでおしまい!」を読んだら、拍手して本を閉じよう。