『靴屋のタスケさん』 角野栄子

 

表通りの空っぽになった店に越してきたのは靴屋のタスケさんだ。
「お靴を治したり、作ったりします」と書かれた看板を読んで、「わたし」のおばあちゃんは、「いまどき、靴を注文する、ぜいたくなお人がいるのかねえ」と言ったものだった。
一年生になったばかりの「わたし」は、毎日、タスケさんの店をのぞきにいき、やがて入り浸るようになる。
タスケさんは眼が悪くて、兵隊さんの試験に落ちたひとだった。
つまり、この物語は、戦争のころの話なのだ。
お金持ちが集まる評判の店で修行した、確かな腕を持つタスケさん。いいところのお嬢さんの足にぴったりにつくった上等の赤い靴の話をしてくれたタスケさん。
靴を作る革もなかなか手に入らない暗い時代だった。
誂えの、上質で履き心地のよい靴を作る、腕のいい職人なんか、誰も必要としなかった。
タスケさんは、それでも靴を作る。時には未来の自分のために、とっておきの革で。
ときには注文ともいえないくらいの小さな注文のために、何日もかけて革をさがして。


戦争はどんどんひどくなり、ささやかに残っていたものさえも奪い去ってしまおうとする。暗い時代はますます暗くなっていく。
暗がりのなかでひときわ目につくのは、二足の靴だ。大きな黒い革の靴と、小さな赤い革の靴。
靴が仲よく踊っている。
「かかと かかか
 かかと とかか
 かかと ととと
 ……」
不思議で楽しげな歌が、聞こえてくる。
なにもかもを破壊しつくそう、誰もかれも攫って行こう、とする、暗い嵐のような戦争。
人が暮らした町は、瓦礫の山。そしてそこに暮らした人たちはどこに行ってしまったか。
上等な美しい靴なんかに思いを馳せるどころではないのだ。
そう思えば思うほど、この荒れはてた光景の中から、鮮やかに浮かび上がってくるのは、どこまでも恋しくなるのは、小さくてとても丁寧に作られた美しい靴たち。靴はただそこに飾ってあるのではない。誰かの足と一緒にリズミカルに踊りまわってこそ本望とばかりに、無邪気なくらいに弾む靴たちの姿が、蘇ってくる。