『沈むフランシス』 松家仁之

 

北海道、枝留市周辺は、撫養圭子にとって、父の転勤により中学時代の三年間を過ごした懐かしい土地だ。
彼女が東京暮らしを清算しようと思ったときに、思い浮かんだのが枝留だった。彼女は、枝留近郊の小さな村で、郵便配達の仕事を得る。


すばらしいのは情景描写だ。原生林とジッパーのような川など。怖いような夕焼け空の美しさなど。
表紙の、雪のなかの犬に惹きつけられるけれど、この犬は、本文中、降る雪の描写の中のあのたった一行だけにいる。名もない犬で、雪と一緒に現れて、すぐに消えてしまう。
その慎ましやかな登場(とも言えないくらいの登場?)が、先に読んだ(でも書かれたのは、この作品よりも後の)『光の犬』に出てくる北海道犬たちを彷彿とさせる。そういえば、『光の犬』の舞台が枝留だ。


圭子と恋人(?)和彦とが一緒にこだわりのオーディオ機器で聞くのは、「この世界のなかにある音」だ。スピーカーから立体的に聞こえる繊細な音は、「目の前にそれがあるように」聞こえる。
モントレー湾のラッコの群れが貝を割る音。トスカーナの丘の教会の鐘の音。ロンドン郊外の駅で機関車が動き始めるときのざわめき。東京マラソンを人の塊が走り抜けていく足音。などなど。
その音に目を閉じて身を委ねることの心地良さ。
だけど、その繊細さの先にある寒々としたものもぱっと見せられるから、どきっとして、冷たく醒めてしまう。醒めながら、ああ、やっぱり、と思う。
男女が惹かれ合っているけれど、そのまわりにある気配は、読者を不安にさせるものばかりだったじゃないか。
美しい風景描写さえも「見慣れない美しいものは人をしばらく緊張させる」という言葉とセットだったりするのだから。


目が見えない御法川さんという女性が、相手の呼吸や息遣いを聴いているところ、心に残る。
「……そうすれば、あなたももっと呼吸が深く、らくになる。無理や辛抱がかさなると、呼吸はだんだん浅くなってしまう。呼吸を聞くだけでも、いろいろなことがわかるのよ」
目で見ることが、見ることのすべてじゃない。目じゃないところで見える確かなものを教えられたような感じ。


物語の始まりの、不穏な前振りの「からだ」は、この町に住み着いた主人公のようだ。
浮かびもせず沈みもせず、ゆらゆらしながら、流されていく。どっちつかずの身の上は、読んでいて歯がゆくて仕方がない。
そのぬるい眠りから起き上がり、沈み切るにせよ、浮かび上がるにせよ、はっきりしてほしいのだよ。
底に足がついたところから、あとは、とんと蹴って上っていくばかり、という気配は心地よい。