『空白の日記(上下)』 ケーテ・レヒアイス

 

 

1938年にオーストリアナチスに併合される。解放されるまでの七年間の独裁政権下の日々を、リンツ郊外の村に住む少女レナ(作者自身)の目を通して描いていく。
作者による『あとがき』には、
「この本は正確な意味で自伝とはいえませんが、全体から見れば、わたし自身やまわりの人々の記憶をつなぎあわあせた、パッチワークのようなものです」
と書かれている。


ナチスによるオーストリア併合に賛成か反対かの国民投票は、国中全員一致で賛成だった。
ナチス党員や突撃隊員に見張られながらの投票だったのだ。
反対票を投じなかった父親を責める子に、村の司祭は言って聞かせる。
きょう、オーストリアじゅうに英雄はほとんどいなかっただろうと。そんな自由はなかった。おまえのおとうさんだって、家族の事を考えなければならなかったのだ、と。
自分が生き残るため、家族を守るために、あえて口を結んで目を閉じて過ごさなければならない日が続く。
この司祭は何もかもが終わった日に、この時の事を思い出して言う。
「ほんとうにほかの道はなかったといえるのだろうか。それがわたしにはわからないんだよ」
物語の最後に置かれた苦い、厳しい問いかけだ。


覚悟はしていたけれど、次々に苦難が押し寄せてきた。
何度も、今読んでいる所は、何年ごろの出来事だろう、と確認した。この苦しい日々はいつ終わるか、と。私は、ゴールは1945年の連合国によるオーストリア解放だと思っていたけれど、そんなに簡単なものではなかったようだ。
独裁政権が破壊した大切なものは二度と元に戻らなかったし、いつまでも忘れることのできないものを置いていった。


読み終えて、村の人々のことを次々に思い出している。


ナチスによるオーストリア併合を喜んでいた、あの人はナチス党員だったが、情の篤い優しい人だったと思う。ただ、この人は、自分の見たくないもの、聞きたくないものは、(ほかの人に見えている物でも)存在しないと、頑固に通した。


早くに殺された人たちは、どちらかといえば、頼りなくて、まわりから軽くみられるような人たちだった。でも、その存在感、重さは、いなくなったあと、あとになればなるほど厚みが増してくる。なんて人の事を知らなかったことだろう。もう、どうしたって取り返しがつかない。


仲間はずれだった子どものことも思い出す。
レナたちが戯れて遊ぶのを羨ましそうに眺めていたあの子は、残酷な地区長の息子。父親から「連中」とのつきあいを禁じられた子どもだった。
レナたちはこの子を仲間に加えることはなかった。あの子は遊びたかったのに。


自分の持っているものを誰にでも与えつくそうとした姉妹のことも思い出す。善意の塊みたいな人たちの、その善意が災いになるなんて……。


ドイツの兵士として、前線にやられて、命を失った若者たち。
自分たちを開放する友のはずの連合軍に、空襲で命を奪われた、村の人たちや、強制労働者たち。
それから、犬や猫、馬、豚、ヤギ……
もっともっと沢山の人たちが群像となって現れる。
どの人も私自身や私の家族、友人たち、隣の人の似姿なのだ。


聡明な両親のおかげで、独裁政権の嘘をわかっていたレナでさえ、時にはナチスの巧みな宣伝に酔ってしまう。激しい流れに流されないように立っていることはどんなに難しいことか。
後に、レナは、ドイツの勝利や英雄たちを称える言葉を連ねた日記を燃やそうとする。止めたのは兄のクリストフだ。
「パパが言ったんだ。自分がまちがいをおかした人間だけが、ほかの人間のまちがいにも気がつく」
日記は焼かれなかったが、その後のページは書くことができず空白のまま残された。たぶん……書かれた言葉よりもずっと雄弁にその後の日々を語る苦しい空白のページ。