『このまちの どこかに』 シドニー・スミス

 

ケーブルカーの窓から移り変わる景色を見ているのは、子どもだ……
紐をひっぱって下車を知らせる。降りたところは、曇天の町角。


「まちの なかで
 ちいさな ものは、
 どんな きもちで
 いるだろう」
ビルの谷間、大股で歩いていく子どもの上に、はじめて現れた言葉を読んだとき、この言葉はいったいどこからきたのだろう、誰に向かっての問いかけだろう、と思った。


高いビルがあって、道路には車がいっぱい。
歩道には人がたくさん歩いている。みんな忙しそうに、誰とも目を合わせないで。
子どもは、町のあちこちを歩きまわっている。
やがて雪が降ってくる……


「でも、しんじてる。
 きみは きっと だいじょうぶ
 よかったら、やくに たちそうな ことを
 おしえてあげる」


「うらどおりを とおると いいよ」
子どもは裏通りを通る。


大きな犬たちが門の奥で吠えている影が見える。
「ちかづかないほうが いいよ……」
子どもは、門の前を通り過ぎていく。


「きみに ぴったりの
 かくればしょは、
 このクワの きの した、」
クルミの えだに のぼっても いいね」
子どもは、桑の木の下にいる、クルミの木にも登っている。
どんどん雪が降っているのに。


おねだりしたら魚をくれそうな、親切な魚屋さんの前を通り、
一休みできそうな空き地(でもトゲトゲの茂みには気をつけて)の前を通り……
もう雪は積もっている。
そして、私もやっと気がついたのだ。
言葉は、どれもこの子どもの言葉だった。
この子は、「ちいさな もの」が立ち寄りそうな場所をあちこち探し回っているのだ。
いなくなってしまった「ちいさな もの」を思い、胸の内で声を掛けながら……。


きみは音楽が好きだったこと、誰かの膝に乗ることが好きだったこと……
「ちいさな もの」と一緒に過ごしたすべての時間が、大切で愛おしい手がかり。


前がみえないほどに降る雪のなかで、こどもは途方にくれてしまったのだろうか。
「かえりたいと おもったら
 まっすぐに かえっておいで」
この子の、今できる精一杯が泣きたいくらいに愛おしい。


(最後のページ。雪の上に小さな動物の足あとが続いている。煉瓦の壁。煉瓦の壁に沿って並んだ草木は小さな赤い実をつけている。この場所をわたしは知っている。この先で、今、起こっていることも。)