『パリのアパルトマン』 ギョーム・ミュッソ

 

パリのアパルトマン (集英社文庫)

パリのアパルトマン (集英社文庫)

 

 

クリスマス休暇を一人静かにパリで過ごすつもりで、予約していた一軒家に到着したのは、アメリカ人の人気劇作家ガスパール・クタンスと、イギリス人の元刑事マデリン・グリーンだった。何かの手違いで、ダブルブッキングになってしまっていた。
どちらも、この家で過ごす権利を譲るつもりはなかったため、当面、共同生活を余儀なくされる。
この家は、つい先ごろ亡くなった天才画家ショーン・ローレンツの家だった。ショーンは、亡くなる直前、遺作となる三枚の絵を描いていたらしいのだが、それは、画家本人によって隠されてしまった。
その絵を探してくれないか、とマデリンに頼んだのが、この家を管理する画商のベルナール。
不思議な縁で、劇作家と元刑事は、一緒に絵を探すことになってしまう。
その絵には、ある秘密が隠されていて、絵の捜索は、それだけで終わりそうもない……


物語の鍵は、子どもだ。
画家の亡くなった子どもを中心に、幾人もの子どもたちが現れる。嘗てここにいた子ども。いたかもしれない子ども。これから出会うはずの子ども。消えてしまった子ども。
二人の捜索は、子どもを探すことでもあった。
とりわけ、過去(そして今もずっと)マデリンのなかにも、ガスパールのなかにも、それぞれ住んでいる、ある子どもを。彼らには、そこに居続ける子どもを解放する必要があったのだ。自分を解放するために。

「画家の遺作を探し求めることが、とりもなおさず彼ら自身の一部を追い求めることにほかならない」


二人の視点から語られる物語が交互にいれかわる。それも「いいところ」で寸断されながら。
先が気になって、ずんずんと読んでしまうが、読むほどに、事の残酷さ、背景の陰惨さに、苦いものがこみあげてくる。
あの子ども、この子どもの顔がそこここにちらついて。


マデリンは、刑事だった過去を振り返って言う。
「人殺しを追うことは自分を荒廃させるが、それはじぶんも殺人者であることを自覚させられるから」
「狩りが続いているかぎり、あなたはあなたが追っている相手とそれほど大差がない」
荒涼とした風景が浮かび上がって来てやりきれなくなる。
だけど。
だけど、この言葉、別の面からみれば、こんなふうにもいえるじゃないか。後になって気がつく。
「きみを解放したのはわたしだが、わたしを救ってくれたのはきみだった」