- 作者: トーベ・ヤンソン,Tove Jansson,冨原眞弓
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1991/11/12
- メディア: 単行本
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しばらくぶりに手に取った『彫刻家の娘』(初読みの感想はここ。その続編のような感想をメモします)
大好きな『少女ソフィアの夏』と比べてしまって、この本は寂しい本のような気がしていました。でも、久しぶりに読んだら、やっぱり大好きな本でした。ソフィアと両方そろえて宝物。
ソフィアのそばには大親友のおばあちゃんがいつもついている、それは二人の世界。しかも輝かしい夏。
こちらは、ひとりぼっちの子どもだ。(あたりまえだ、ソフィアのおばあちゃんは、まだ「ママ」なんだから)
『少女ソフィアの夏』では、子どもにとって、おばあちゃんはスナフキンみたいだと思った。(パパやママは影法師)
『彫刻家の娘』では、子どもには、母と父=ムーミンママとムーミンパパがいる。
(トーベの母は、母であるときにはムーミンママで、老いたら、孫にとっては、スナフキンみたいな友だちになった。)
パパとママに深く愛され、二人の影響を強く受けた子どもではあるけれど、この「わたし」は、いつもひとり。そして、一人の世界を独特の世界に昇華させて多いに楽しんでいる。
冒険心に富む、独特の価値観を持った両親を深く尊敬する彼女は、一般的な大人たちに向ける目線がとても辛辣。
豊かな感性を持ち、彼女の感じとる超自然界の気配を理解できる人には、大人だろうが子どもだろうか尊敬するけれど、そうでない人(その方が多い)を徹底的に軽蔑する。
子ども時代はひとつの閉じられたユートピアのようだ。
ママのチュールのペチコートに隠れて外界を眺める場面があるけれど、この物語全体が、チュールのペチコートの中の世界なのだ。
外の世界は、ぼんやりとしている。それでいい。
両親はすてき。
彼女の世界を決して笑ったり茶化すことなく、まるで当たり前のように受け入れ、彼女のやりたいようにやらせた。
いつか、外に出ていく彼女は、このペチコートの下で、安心して、思うさま自分の世界を育て上げた。
いつか作家になり画家になる「トーベ・ヤンソン」の種を育んだ。
ママのペチコートの下の世界を持てた子どもは幸せだ。
チュールであってもなくてもいい。色は何色でもいい。いつか脱ぎ捨てるその日まで。