『ふたりの画家 〜丸木位里・丸木俊の世界〜』 本橋成一写真録


丸木位里丸木俊。傾向(?)の違う画家がどのように力を合わせて一つの世界を作り上げるのか、興味があって手に取った本でしたが、読み終えたとき、そんな疑問を持ったことが不自然に感じられるくらいに、「ふたり」の姿が自然に思えた。作品を作り上げることについて、その方法について、一つも語っていないのに。
生活のこと、体のこと、好きな釣りの事やお酒のこと、飼っていた犬や猫のこと、原爆の図のこと、丸木美術館のこと、そして、講演のためにめぐった他所の国々のこと、原発に反対すること・・・緩急な話題をごちゃ混ぜにした、ほんとに自由な感じの語らいがそのまま収録されている。対談、というのでもなく、インタビューというのでもなく、のびやかで自然体な語りに、読むわたしもくつろぐ。くつろぎつつ、ときどき、はっと姿勢を正したりする。


極楽を描こうと思っても地獄を描いてしまう、地獄と思っていたらそこに極楽もあった、という位里さんの話、朴訥と可笑しげに語るが、実はとても深い話をされているのだ。
昨年、丸木美術館でみた原爆の図を思い出す。一番最初に浮かんでくるのは、赤ちゃんのまっすぐこちらを見つめる澄んだ目なのだ。地獄のさなかの無心な光・・・畏れに身がすくむようで、目を離せなくなる。忘れられない。

>俊は根っからの油絵の絵描き、で、わしゃあ、根っからの墨絵の絵描き。まあ、水と油ちゅうこと。フフフ。それが一緒に絵を描いとる。「原爆の図」からはじまったんじゃ。(位里)
>リアリズムがないと、作品は弱い。説得力が少ないね。民話ってのは、すごいリアリズムを持ってるのね。構成的にも、ものすごくいい構成になってるの。どんなに空想的であっても、その目はやっぱりリアルな目。(俊)


本橋成一さんの撮った二人の画家のさまざまな表情の写真には、どういう場面の写真であるかという余計な解説はほとんどなくて、その分、見ているわたしは、ただ、ふたりの表情だけを追うことができる。
多くの地獄を辿り、乗り越えてきたふたりの画家。ふたりのなかにはおそらくわたしには想像もできない巨大な深みがある。
戦争や差別や公害を激しく憎み、そのためにふたりの画家は、どこまでも終わりの無い旅を続ける。
でも、その表情はなんて静かなんだろう。静かで明るいのだろう。ユーモアをたたえ、やさしいのだろう。